見出し画像

疲労と"疲労感"は違う

大学の、心理学系の講義を受けていた時に聞いた言葉。確か、子育てや家事の大変さ、という文脈だった気がする。

肉体的な疲労というものももちろん存在するけど、心理的な疲労、"疲労感"は周囲のサポートによって軽減することができる、みたいな内容だったと記憶している。

舞台公演の準備で、あれもやらなきゃこれもやらなきゃでとりあえず目の前にある問題から対処していくという方法しか取っていなかった。その結果、タスクの全体像も掴めないまま、ただ「なんだか大変そうな仕事が山積している」、その状態が辛くなっていた。

会社で働いてよかったことの一つは、会社という組織が、案外楽観的なスタンスで、問題に対処するのだと知れたことだ。

その問題は、どちらにせよいずれ解決しなければならない。が、がむしゃらに、今すぐなんとかしなければならない問題ばかりではない。

たとえば長期的にみて、仮の策であるいくつかのステップを踏みながら、最終目的地への道筋を辿っていくこともできる。また、時間が解決してくれることもある。

個人的な問題に対処する際、私は時間が経つのを待つという策はあまり選んでこなかった。何もせず手をこまねいて見ているのが、なんだか辛いのだ。じっとしているより動いた方がましだ、と思っていた。

でも、とりあえず動いてみたところで、楽になるのはほんの一瞬で、問題をさらに複雑な、根深いものにしてしまう可能性だって、ままあるのだ。

根本から解決できればそれが一番いいけれど、難しい場合、今できることをとりあえずリストアップして可視化してみる。周りにいる人と共有する。(これまでの私からしたら)遠回りのように見えるこうした策が、疲労感を「いい汗を流した」というような、"心地よい疲労"に変えてくれる。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集