愛はいくつになっても身辺にあるものか。最後にプロポーズされたのは3年ほど前だった。 重々しく口を開くと、信じられないことがが出てくる。「あと・・年、‥年一緒に暮らさないか?」 なんとよい響きを持つ言葉ではないか。すでに人生経験を積んでいる大人通しには、驚くより不思議なものを見たような気がして聞いていた。 愛がこもっているとも思えなくもないが、男はいつの間にそのような思いを抱くのだろうか? むろん、独り身をさみしいと思い、今後の生活上のパートナーとして選択してくれた
愛とは勝ちとるものか 久しぶりにnoteを開いた。思いのままに書き込みを続けよう。 このところ、思っていることがある。 なんだかんだ言って恋愛って面倒くさい・・・そのことを書きたい。 うまく事が進み思い通りに恋愛が運べばいいが、私の経験上ではそんなことはまずない。少し経つと二人の心に隙間風が吹き、喧嘩をしたり挙句別れたり・・ 若い頃も、今だって相変わらずうまくゆかないことの方が多くて、心が疲弊するだけである。 だけれども、一生一人でいることはさみしいし、共に生
異性に対するアプローチは様々な形があるようだが、電話によるアプローチは昨今すさまじいようだ。男から女に対する電話もそうだが、私は経験したことはない。 要するに一回のアプローチで、YES,NOをはっきりさせるからだろう。 女から男に対するアプローチに電話が多いように思う。電話は見えない相手に、自分の思いを伝える手段としては効果があるからか。拒否された時、傷つかないように電話はよい手段のようだ。 顔が見えない分、ズウズウしさも加速が加わってくる。 はじめは大方の人間は
感性とは 人の感性はその人の内部に入ってみないと、図ることのできないものかもしれない。 こう思うでしょ?と言ってもその人が感じられる回路を持っていないと理解できないものだ。 単純に身なりにたとえてみるとわかりやすい。 夏になっても、デニールの多い靴下をはいている人を見ると声をかけたくなる。これはいいことではないだろうか。 上着は半そででも靴下が冬用をはいていたら不釣り合いではないだろうか。 洋服のセンスは幼いころから自分で自分の身なりを整える習慣の中で徐々に培われてゆくもの
虐待事件 目黒の虐待事件で死亡した結愛ちゃん 虐待死させた父親雄大被告の法廷でのやり取りを読んだ。 「私が親になろうとしてごめんなさい・・・」これは何語で話しているのだろう?私にはこれが日本語には思えない。 理想の親になろうとして、5歳の子に水をぶっかけたり、食事を与えなかったの? 言葉では誤っている風だけど、自分を正当化しようとしている以外の何物でもない気がする。 もう少し早く誰か一人でも気づいたら、結愛ちゃんは今では6歳になっていた。3歳でトイレ掃除をしている結愛
出会いはもう30年近く前になります。 母子家庭で家賃の支払いさえ大変な出費で、毎月頭を抱える日々でした。 何回も応募した挙句、このほどようやく賃貸契約がきまりました。 初回の支払いは5,000円でした。万歳やった! そう思って移り込んだ住まいは都営住宅の一室でした。 少学校1年生の子供と二人、これからの生活に余裕ができることだろうことに、ほっとする思いでした。 しかし、左右を見ると、家賃としては恵まれた環境に住んでいるのは、決して苦労している風な人々ではありません。
2023年2月17日 21:07 フォローする 文鳥のモモちゃんの爪切りをしてあげました。私のセーターの上にとまったとき、モモちゃんのつめが編み目に食い込んでセーターの網目は壊れてしまいます。 そこでモモちゃんのつめを切ることにしたのです。検索によると鳥の爪は先のほうは血液が流れていないため、痛みはかんじないとのことです。 最初の爪は問題なく切れましたが、モモちゃんも怖かったと見え、爪切りを見るだけで逃げ出そうとします。でも、セーターがだめになる!そう思って心を鬼にして