●方法論にはときめかない

これは人によるとは思うのだが、僕は全くもって方法論にはときめかない。

方法論にときめかないとはどういうことか。

僕は、とにかく暗記モノが大の苦手で、高校生の時は化学は一年生の1学期の時点で諦めた。高校三年のときの模試ではマーク式にも関わらず、2/100点という好成績を納め、三重県で最下位という、名誉ある賞をいただいた。

物理や数学は得意なほうだったが、公式を覚えるのは苦手で、基本的に派生した公式は元となる公式まで遡って、その元の公式だけを覚えるという徹底ぶり。

気候風土に適した建築に興味が湧いても、その根本にある事柄は読んでいて面白いが、事例集になった途端読む気が失せる。

最近では、僕は、ずーっと何かしら考え事をしているので、考えるということが好きなのかもしれないと思い、考え方という本を読んでみたが、すぐに読むのをやめた。

普段の仕事でも、(これはあまり良くないが)こういう時はこうするというテンプレートを覚えることができない。だって、根本的な部分だけ理解してれば、「こういう時」が来た時、必然的に「こうする」が導きだせるから。ただ、確かに、時間はかかってしまう。

とにかく方法論にはときめかない。
根本を押さえ、根本を使う事にときめく。

結局のところ僕は自由を求めている。

方法論というのはなんだか型に嵌められている気がして、窮屈な気分だ。

逆に根本を使えば、そこからどうやるかは自分次第、その時の気分次第で様々な方法を取る事ができる。

そして結果は一つの方向へと収束する。

実に良い気分だ。

そしてこれは僕の街並みへの好みにも反映されているのかもしれない。

景観法や都市開発などによって、形作られた街並みからはあまり魅力を感じない。
例えどれだけ綺麗であっても。
何か今ひとつなのだ。
直感的に窮屈な気分になっているのだろうか。

逆に秋葉原や原宿、下北沢といった、根本的な部分(コンセプトのようなもの)は一つに定まりつつ、自由に多様に物事が変化し創造されるこの街の街並みにはワクワクする。
直感的に自由を感じ取っているのだろうか。

皆んなに伝えたい。

現在世の中には大量の方法が溢れている。そんなものに目を向けていては、本当にどうしたらいいのか、そして、どうしたいのかが分からなくなってしまう。

せっかく自由に生きられるのだ。

根本的に自分を突き動かす軸となるものを是非見つけて頂きたい。自由を享受して頂きたい。

街並みにおいても同じだ。方法論で縛るのではない。根本となる街並みのコンセプトを定めることで、多様でありながら、魅力が分散せずに一つの方向に収束する。そんな素敵な街並みが完成する。

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