●博物館ではワクワクできない
以前、昔の街並みを守っている風致地区の
その中でも、観光客で溢れかえっているわけでもない街をまるで博物館のようだと言った。
街並みを残すために、街の中で活動する人たちの個性や文化を無視した、見てくれだけの街並み。ルールを作り、作れる建物のデザインを規制し不自由な創造が繰り返される。僕はこのような街には全くワクワクできない。
僕の考えでは街並みは身体(生命体)。
中で活動する人々は細胞である。
人々が増えれば街の建物は増えるし、減れば減るし、金持ちになれば高級住宅や高級店が建ち並ぶ。そういう躍動が街並みの生きた鼓動である。
そういう躍動から外れた、街並みは死んだも同然である。風致地区は死体を剥製にして展示している博物館のようなものである。
もちろん、そういう博物館にワクワクする人もいるだろう。恐竜の化石なら、かなりの人がワクワクするのではないだろうか。僕だってワクワクするし、恐竜博物館は楽しい思い出しかない。
しかしだ、ここで聞きたい。
例えば、江戸時代から残る街並み。
実際に江戸時代の人々がその街で生活しているのを見るのと、現在の街並みだけが残っている状態を見るの。どちらの方がワクワクするかな?
他には、恐竜の化石を見るのと、実際に生きた恐竜を見るの。どちらがワクワクするかな?
ほとんどの場合、答えは後者だろう。
だからこそジュラシックパークだって存在価値があるのだ(映画の中の話だけどね笑)。
そう。いくら御託を並べようが、結局は生きたモノに魅力を感じワクワクするのである。
だからこそ僕たちは今生きているこの瞬間、この時代の街並みをワクワクするものにしていく事が大切なのである。