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もっと早く出会いたかった③@町医者エッセイ
本人が、家族が、医療者がどれほど願ったとしても病気は進行します。天野さんに確実にその日が近づいていました。やがて、耐え難い倦怠感が天野さんを襲います。あらゆる治療が無効でした。唯一、私に残されたのは「鎮静」のみ。
話を進める前に、緩和ケアの「鎮静」について説明します。日本緩和医療学会によると、「鎮静」とは、「患者の苦痛緩和を目的として患者の意識を低下させる薬剤を投与すること」、あるいは「患者の苦痛緩和のために投与した薬剤によって生じた意識の低下を意図的に維持すること」です。つまり、患者さんの意識を少しだけ低下させて、苦痛を自覚しづらくする(緩和する)治療法です。
話は天野さんに戻ります。
天野さんを襲った倦怠感は日増しに強くなりました。本人はもちろん苦しく、直近でその苦痛を見ているご家族もまた苦しみます。そして、何もできずにいる私たち医療者もまた苦しみます。
「先生、もう死にたいわ」
天野さんの一言に、私はただ沈黙する他ありませんでした。末期がんの耐え難い倦怠感、それは当事者にしか分からない世界であり、未経験の周囲が安易に共感できるほど、そんなやさしいものではないと思ったからです。
苦しむ天野さんを前に、私はやはり黙るのみでした。実に情けない医者でした。そんな私にできることは、もはや「鎮静」しか残されていませんでした。激しく悩みました。「鎮静をすべきかどうか」、いやその前に「鎮静の提案をすべきかどうか」です。同時にあの言葉が蘇えってきました。
「お前、神にでもなったつもりか」
私が、医師になってまだ2年目のとき、担当患者さんの治療法について、私は延命治療をすべきではないと指導医に上申しました。当時はまだ延命治療が大多数の時代であり、私は指導医から厳しく叱責され、前述の言葉を投げかけられました。
天野さんへの鎮静について考えが及んだとき、指導医の言葉が一気にフラッシュバックしました。私は今、神の領域に踏み込んでいるのではないだろうか。そんなことを私に提案する権利などあるのだろうか。私はもちろん神ではない。神ではないからこそ私は悩むし、天野さんと同じ人間だからこそ、私は天野さんのためにありたいと願いました。悩み抜いた結果、私は、天野さんとご家族に「鎮静」を勧めました。
一度きりしかない人生、その終幕に際し意識がどうであるか、それは本当に大事なことです。一晩、じっくり考えていただくことにしました。私が去ったあと、中村直子看護師が、悩みという深い渦に迷い込んだ本人とご家族に寄り添いました。私の前では気丈に振る舞っていたご家族も、中村看護師とともに泣きながら議論したのだそうです。
翌日、ご家族から、鎮静を選択する旨の連絡がありました。
ちなみに、中村看護師は、ご家族から「直子さんの家族だったらどうしますか?」と聞かれたのだそうです。私たち医者は、「自分の親や子どもにできることを、患者さんにもやりなさい」と教えられます。彼女が何と答えたかまでは聞きませんでしたが、きっと、天野さんを自分の親だと思って、ご家族と一緒にたくさん悩んだのでしょう。看護師である前に一人の人間として、ご家族とともに一緒に悩み抜いた中村看護師のあり方を、私は仲間の一人として本当に誇りに思いました。
さて、鎮静が始まりました。天野さんとご家族、そして私たちの旅もいよいよ終点が見えてきました。(続く)