ぼくは救うことはできても、支えも、癒やしもできない単なる医者だ。<町医者アーカイブス>
<町医者アーカイブス⑤>
これは、町医者松嶋大ブログに2020年10月に投稿した過去の記事です。
ぼくは単なる医者に過ぎない。
主な仕事は、診断をつけて、適切な薬を出したり処置をしたり。
その結果として、患者さんを救う。
これに尽きる。
本当は、支えになりたいし、癒やしも提供できたら、どんなにいいだろうなと思う。
が、そんなことは、単なる医者に過ぎないぼくには、到底できない。
重々、理解している。
前置きが長くなった。
仲間が難しい病気になった。
仲間バカなぼくは、当然、医師として、少しでも救うことに集中している。
でも、救うだけでは十分ではないのだ。
本当に良くなるためには、支えは欠かせないし、癒やしも必要。
どうしたら、仲間が希望を持ち続けられるだろうか。
そして、少しでもよくなるだろうか。
そんなとき、もう一人の仲間がこぼした。
その仲間のために、ピアノを弾いてあげる約束をしているという。
なるほど、それだ。
じゃあ、ピアノのコンサートをやろう。
仲間が仲間と約束していたことを、その仲間(ぼく)が助太刀する。
悪くない話だ。
ややこしくなるので、病気を患った仲間を仲間A、ピアノを弾く仲間を仲間Bとしよう。
仲間Bに相談する。
どこでピアノを弾きたいかと。
しょうもないことを言う。
コストのこととか、現実的な目線で。
馬鹿言うな、と叱咤する。
話は脇道にそれるが、ぼくは野球少年だた。
もし死ぬとなったら、甲子園の土をやっぱり踏んでみたいし、できればマウンドから投げてみたい。
仲間Bに、どうなんだと聞いた。
そう考えれば、小さいホールじゃないだろと。
某大ホールの、一千万円以上するピアノに狙いを定めた。
無事予約が取れた。
そして、本番。
ほぼ誰にも口外せず、秘密裏に準備を進めて本番を迎えた。
何も知らされていない仲間Aは促されるように大ホールに連れて行かれた。
大ホールに入っても、相変わらず現実を理解できずにいたらしい。
そして、仲間Bが舞台に入り、演奏会が始まって、その意味に気づいたのだろう。聴衆は、わずか10名前後。
仲間Bのお弟子さんが多数で、その他は3,4名。
コンサート時間も30分ほど。
ちなみに、申し訳なかったが、チームメンバーには全く伝えなかった。
なぜか?
仲間軽視ではなく、ただ、違うと思ったから。
ぼくは舞台袖で見届けるつもりでいた。
が、ある意味で予想通り、その場に行くことはできなかった。
外来が終わらず、外来診療に集中していたから。
こんな大事なときに駆けつけないことに首をかしげる人がいるかもしれない。
診療をずらしてでも、仲間のためにかけつけるべきだろうと。
でも、ぼくは違うと思う。
繰り返すが、ぼくは単なる医者だ。
救うことしか能がない。
であるならば、ぼくはぼくで目の前の患者さんに集中する。
これが、仲間への報いになるのではと思った。
他の診療をよけてでも駆けつけても、仲間Aは喜ばないはずだとおもったから。
支えや、癒やしは、他の仲間だったり、今回で言えば仲間Bがしっかり成し遂げてくれたから、それでいいのだ。
たった一人の仲間のために、わずか十名前後の聴衆のために、大ホールを貸し切るという行動に出たぼくを褒めてもらいたいという意図は、全くない。
この行動は計画的ではないし、全くの刹那的な衝動に過ぎないからだ。
もし褒めてくださる人がいたとしたら、この衝動をおこさせた、仲間Aとぼくの関係性に着目いただきたい。
全くの衝動だ。
繰り返すが、ぼくは単なる医者だ。
救うことはできても、支えも、癒やしもできない。
この事実を受け止めて、今後も前進したい。
そして、支えや癒やしを提供できる仲間たちと協働して前進したい。
あくまで、一つの物語として、また備忘録として、このコンサートを共有しておきたいと思います。
【謝辞】
仲間Aを支え、癒やすために、仲間Bは心から、そして深く努力してくださった。
そして、数名の心の友たちが、当日、全くのボランティアでコンサートを支えてくれた。
ぼくの思いつきで始まり、終えたこの企画を応援してくれた方に、心から感謝いたします。ありがとうございました。
<町医者アーカイブス⑤>
これは、町医者松嶋大ブログに2020年10月に投稿した過去の記事です。
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総合診療をベースに、認知症治療と在宅医療、そして終末期医療に取り組んでいる、事象「患者バカ町医者」の松嶋大が、日々の実践をみなさんに共有し、またみなさんからも共有してもらいながら、これからの「医・食・住」を語り合うサロンです。