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いぎるごどは難儀なの②@町医者エッセイ

孫が祖母の病気を見つける。
 
身内の病気、しかも命を脅かす病気を見つけるということは、たとえ医師であってもそうそう経験することではないと思います。これもまた医師の宿命とは言い聞かせるものの、やはり辛いことです。
 
私は、祖母に肺ガンであることを伝えることにしました。
 
「ばあちゃん、あまり良くない病気が見つかったよ、肺がんだ」
 
ちょっと冷たすぎやしないかと危惧するほどに淡々と伝えました。いや正確に申すと、淡々とする他なかったのだと思います。私がいつも診察室で展開するような告知の方法だったりをすれば、きっと泣きじゃくり、言葉にならなかったとはずです。努めて淡々とすることで、ギリギリ医師としての自分自身を保っていたのでしょう。
 
私の淡々とした告知を、祖母もまた表情を変えず淡々と聞き入っていました。
 
「そうか、それでどのくらい?」
 
どのくらい、そうです、残された寿命のこと。この時、すでに88歳だった祖母は、日常的に死を意識していたのだと思います。加えて身内にがんで亡くなった者が少なくないというのも影響していたのでしょう。年齢的なことに加えて、がん=死という構図があったのかなと。
 
いつもの私ならば、寿命の予測をバシッと伝えたところです。しかし、この時ばかりはなぜか沈黙しました。もちろん頭の中では予測は明確。だから伝えることはできました。でも、伝えなかった。なぜ沈黙?自分でもよく分かりません。少なくとも、「落ち込むだろうから」という、ありがちな理由ではなかったことだけは確かです。
 
祖母に告知後、父に電話しました。父はいつもそうなのですが、私の前ではやはりいつも淡々としています。このときも、「そうか、よろしく頼む」と。私よりはるかに淡々としていました。淡々の理由はきっと同じ。あえて淡々とすることで涙を堪らえようとしたのかなと。でも、きっと夜中にこっそり泣いてたんじゃないかな、とそんなことを勝手に想像していました。
 
ところで、がんの告知というのは、古今東西、過去も現在も医師を悩ませる難しいテーマです。ありがちな光景は、まず家族に伝えて、そのうえで本人にいかに伝えるかを考えるというもの。ところが私は全く逆。まず本人。そのうえで家族にどう伝えるかを本人と相談。
こんな私のやり方に、ご家族から責められることはあります。ご意見、ご心配はごもっともなのですが、だからといって、命に関わりかねない大事なことを本人に伝えないという理由は、基本ないと思うのです。
ただし、「真実を聞きたくない(知りたくない)」という方(患者さん御本人)も、稀にいらっしゃいます。どうしても聞きたくない方にはお伝えはいたしません。そこで、私は、検査前などに患者さんに確認します。「検査で良くない結果が出た場合、全て知りたいですか?」と。医者になって約25年。一人だけ「教えないでくれ」という方がいましたが、残り全員が「もちろん教えてくれ」です。
 
話は祖母に戻ります。がんの告知を終えました。治療の開始です。

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