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もっと早く出会いたかった

「積極的」という言葉。

医師として、いつも違和感を覚えつつ仕方なく使っている言葉です。
例えば「積極的治療」のように。がんの場合、がんを切り取る手術だったり、抗がん剤治療だったりを指します。一方で治癒が望めず、せめて苦痛だけでもしっかりとろうという趣旨の緩和ケアは「積極的医療」と呼ばないことが多いです。

天野さんのときもそうでした。
「積極的治療の適応ではなくなったので、あとはご自宅で緩和ケアを」と。
大病院から私への紹介状の一節です。

まず、医師に、このコメントに際し一切の悪意がないことを強調しておきます。
しかし、患者さんの側からするとどうでしょう。
確かに、がんを治す治療はできないかもしれない。とはいえ人生は続く。続く限り、希望を捨てず、積極的でありたいと願われる患者さんは多いです。しかしながら、「積極的治療の適応ではない」と。医師としてはいわゆる事実を伝えているのみですが、このフレーズに相当なショックを受けられる患者さんが少なくないですし、見捨てられたと絶望の淵に立たされる患者さんもまた少なくありません。

自戒の念を込めて、私は、医師として、自らが発する言葉のインパクトを肝に銘じつつ、この「積極的」というフレーズの一つをとっても、患者さんとの丁寧な語り合いを通じて、言葉の意味を共有できるように最善を尽くしたいと思っています。


さて、天野さん、60歳前後の女性。盛岡で生まれ、盛岡で育ちました。
十代終わりに上京し、東京で家族を持ちました。
順風満帆だった人生に転機が訪れたのは50代半ば。がんが見つかりました。以降、様々な治療をしましたが、がんの勢いは止めきれませんでした。結局、ご自分の判断で積極的治療を断念。
「最後は故郷で」と、家族を関東に残し、一人、40年ほどぶりに盛岡の実家に戻りました。関東に残った家族も天野さんの気持ちを受け止めてくださり、頻繁に盛岡に通ってこられました。

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