読みなさい
やはり、書かないではいられない。
ぼくにとって、お目付役というか、相談役というか、顧問というか、そう思える方が、ぼくが不在のときに亡くなった。
とにかく数段上からぼくを見守ってくれているという感じで、診察では常に主導権を握られていた印象だった。
魔法使いのように、ぼくの動きをいつも当てていた。
「先生、あのとき、〇〇してたよね」とよく言われた。
なぜ知っていたのか。家族などごく一部しか知らないようなことも知っていた。
いまだに理由は分からないが、一心同体だったとしか言えない。
あるとき、こんなことも言い当てた。
「先生は、〇〇先生(妻の父)のお婿さんでしょ。〇〇先生がね海外留学する前に診察してくれたの」と教えてくれた。
厳密には婿ではないのだけれども、そんな些細ないことはともかく、なぜ、ぼくが〇〇先生の義息子ということを知っていたのか。誰も教えていないはずなのに、不思議でならなかった。理由を問うても微笑みで交わされた。ここまでくると魔法使いというよりも、未来もしくは過去から来たドラえもんのようにしか思えなくなっていた。
この話からただならぬ縁を感じていた。
義父が若い頃に担当していた方のおそらく最後の主治医がぼくだろう、ということを。だから、臨終確認はぼくだと確信していたし、心に誓った。
あるとき、「夜と霧」をぼくにくださった。
わたし(患者さん)が読んだから読みなさいと。もういらないからと。
なぜくださったのか、やはり理由は教えてくれなかったけど、きっとそのときのぼくには必要だと思ったのだろう。
早速読んだ。
その方が読んだ跡があちこちに残っていた。おそらく気になる言葉があったのだろうか、そのページを折っていた。
内容よりも、なぜその方がこのページを気にしていたのだろうということが気になって仕方がなかったことをよく覚えている。
あるとき、白髪染めをくれた。
白髪が目立ち始めていたぼくに、年寄りに見えるから染めなさいと。
ありがたくもらったふりをしたが、使わなかった。
あるとき、結局ぼくは美容室で染めたのだが、その後の最初の診察で、その方が少々憮然とぼくに話した。
「あのとき、わたしがあげた時は染めなかったくせに」と。もう5、6年も前のことをよく覚えているものだと、話を交わすように称賛し、結局最後にはお互い笑った。
この他も話題に欠かない。思い出も。
最近体調崩されていた。
そんな時、急遽の出張となった。さすが出張中は大丈夫と思いながらも、心配になり、今朝オンラインで顔を合わせた。
残念ながら意識が遠のいていたが、画面越しに声をかけたら少しだけ目をぴくつかせてくれた。いや少しだけ開いたかも。
数時間後、呼吸が止まったようだと連絡があった。
いつもならば至急帰るところだったが、今日無理な場所にいたので、待機の先生にお任せした。
もう8年くらい前かな、臨終を確認するのだと決めていたがそれを果たせなかった。
不思議な気持ちになった。この出来事にはどんな意義があるのだろうか。この物語の文脈にどういう解釈を入れればいいのだろうか。
お目付役であったその方の最後に間に合わない(臨終を確認できない)という出来事にこそ、大きな意義があった。
そう思えてならない。
いや思うしかない。
そして、ぼくに夜と霧を読みなさい、と伝えた意義がそこにあるのかもしれないと思った。
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