男と男の約束@町医者エッセイ
男と男の約束を交わした恒頼さんは八十を優に超えた男性で、胃ガンを患っていました。
病気の存在を知らない方からは、物忘れもなく、シャンシャンと歩ける、とってもお元気な八十代に見えていたに違いありません。
一見した元気さとは裏腹に、食は細くなり、体重も減る一方でした。にもかかわらず弱みも見せず、凛々しいお顔を崩すことはありませんでした。孫の送迎をこなすなど家庭内で依然現役だったことが恒頼さんを奮い立たせていたのかもしれません。
ある時、恒頼さんが珍しく苦痛の表情とともに受診されました。お腹が痛いと。
お腹の診察をしながら、診察台に横たわった恒頼さんに、いつかはお聞きしなければいけないと思っていたことを尋ねました。
「恒頼さん、最期をどこで迎えたいですか?」
「自宅」と即答されました。私たちは握手をし、男と男の約束を交わしました。
私はこの時、医師として重大な決断をします。ワルファリンというお薬の中止です。恒頼さんには心房細動という持病があり、脳梗塞予防のためワルファリンを内服していました。血液をサラサラにし、納豆を食べてはいけないお薬といえば、ご存じの方も少なくないと思います。
残された寿命は間違いなく二,三ヶ月以内と思われ、かつ、大きくなった胃ガンからはいつ大量出血してもおかしくない状態でした。胃ガンからの大量出血は死に直結する懸念が高かったので、脳梗塞を予防するよりも重要だと考えたのです。この判断は、医学的には妥当であったと信じています。
しかしながら、運命とは時に残酷です。
数日後、恒頼さんが救急車で運ばれてきたのです。自宅で倒れたからです。悪い予感は的中し、脳梗塞でした。身体半分が麻痺し、お話しすることも、食べることもできなくなりました。ガンで寿命が近づいていたのですが、脳梗塞によってさらに早まったわけです。
恒頼さんに謝ろうと病室を訪ねました。意識はしっかりしていたものの、お話することは難しく、私をただひたすらじっと見つめてきました。その目が「自宅に帰りたい」と訴えているように私には感じました。なるほど、あの約束です。
ご家族に無理を承知で説明したところ、嬉しいことに快諾してくださいました。そして自宅で最期を迎えるため、自宅に退院となりました。数日後、家族に囲まれる中、恒頼さんは静かに旅立ちました。
最期は日曜日の朝でした。私は当時百キロキロほど離れたところに住んでいましたので、遠方過ぎて容易に駆けつけることもできませんでした。しかし、恒頼さんが旅立たれた日曜日は私が当番でしたので、朝から百キロを超えて通勤していました。恒頼さんが私を待っていてくれたと言うつもりはありませんが、それでも、恒頼さんが臨終の確認を私にさせるため、私が勤務する日曜日にあわせて旅立ってくれたのではないかと思いました。
私は、今でも、なぜ直感的に家族に自宅退院を提案したのか、思いを巡らせることが少なくありません。恒頼さんのことを思った純粋な提案であったと信じたい一方で、ワルファリン中止にて脳梗塞になってしまった罪悪感を償うためだったのではないかとも。いずれ、最期を自宅というのは、男と男の約束だったことだけは間違いありません。