人に、縁と、社会へと繋がる扉。<町医者アーカイブス>
今日、とってもうれしい相談が届いた。
70代の方が、ぼくらの有償ボランティアチームに入りたいと。
理由を伺うと、それが最高で、本当にうれしかった。
「退職して人との繋がりが減ったので、また社会や人と繋がりたい」と。
この言葉(理由)に、ぼくがどれほど喜んでいるか、みなさんに伝わらないのが辛い。とにかく嬉しい。
やっとここまできたという感慨とともに、ここからが本当の始まりだという気合と。
とっさに、二つ思い出した。
過去も現在も構想の中核をなすコミュニティスペース(現おちゃのま)を創る決断をした物語のこと。
そして、2017年の夏、診療所を現在地に移転する際、スタッフ全員で新診療所のネーミングを考えていたときのこと。
前者。
とある特養で、とある超高齢女性を見送った際の、圧倒的な違和感。
診察の都度、デコレートされていく部屋。
とどめは、女性が着ていた(着させられていた)服。
誤解を恐れずいえば、介護や医療によるイベント化された死。
そして、社会との繋がりを事実上寸断された状況での死。
臨終の際、多くの人が涙する中、ぼくはその光景にただ呆然としていた。
申し訳ないが、すごく気持ち悪く、虚しい気持ちになった。
人が死ぬということはどういうことなのかと考えていたら、ぼくはこうであってはいけないのではないかと思った。
人というのは一人では生きていけず、やはり、人や社会と繋がり続けなければいけないと。
そういう繋がりや関係性の中で旅立ってゆくのが自然なのではないかと。
そのためには、現在の施設では不十分だと確信し、繋がり続けられるような仕組み、そして新たなコミュニティーが必要だといいう結論に至った。
後者。
新診療所名として、「なないろ」をつけることはぼくが決めた。
ただ、ちょっと足りない感じがしたので、全スタッフで話し合った。
なないろに何か続けたいが、何がいいだろうかと。
最終候補として、「かぜ」と「とびら」が残った。
記憶が曖昧で、どうやって最終決定したか覚えていないのだが、「とびら」となった。(この案をだしたのは、今や副所長の菊ちゃんである)
「なないろのとびら」
ぼくの中では、いまだに色褪せることがない最高の名前だ。
なないろのごとく輝く人々が、診療所というとびらを通じて社会とつながっていただきたい、そういう願いを込めている。
つまり、診療所は目的地ではなく、経由地なのだ。
ここから、さらに、社会へとつながっていただきたい。
豊かな人生へと。
話は戻って、今日頂いたご相談は、即断即決、「大歓迎」だ。
なないろのとびらを経て、人に、縁に、社会へとつながっていただくこと。最高じゃないですか。
これからも、なないろのとびらを磨いていこう。
そして、とびらをもっと広くしよう。
つながること
<町医者アーカイブス②>
これは、町医者松嶋大ブログに2020年12月7日に投稿された過去の記事です。
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