あの角を曲がれば。
あの角を曲がれば、、
どこかで聞いたフレーズだが、間違いなく、そう思わせる方であった。
年明け早々、スタッフから話があった。
「先生、先ほど、●●さんの娘さんからお電話がありました。●●さん、年末にお亡くなりになったそうです」
なんだか、一気に脱力した。
もしかしてもう亡くなっているかもと思いつつ、連絡も、噂もなかったので、あの角を曲がれば、いつものようにいらっしゃるのではと願っていたところだった。
●●さん、ここでは暫定的にSさんとしておこう。
Sさんとは、かれこれ10年くらい前、出会った。
最初は、確か、Sさんのご主人を先に担当していたように記憶している。
ほどなくSさんも担当するようになった。
健康面では、いろいろあった。
ここではあまり書かないでおこう。
いろいろあった割に、思い出すのは、決まって、ご自宅に訪問診療して、お菓子を勧めながら、楽しく語り合ったことだ。
お菓子好きのぼくは断ることはしないのだが、とにかく勧められた。
1種類のみならず何種類も。
そして、独特の甲高い声で、あれこれと楽しく語り合ったものだ。
何を語り合ったかまでははっきり思い出せないが、まるでデジャヴュのごとく、語り合っていた二人の風景は目の前に広がる。
あるとき、主治医を降りることを提案した。
当時はもっともらしい理由をつけたが、要するに、ぼくが若かったということだ。
自分から別れを切り出した割に、未練は残る。
なにせ、デジャヴュのごとく思い出せる愛すべき患者さんだったし。
別れたあとも、いつかまた主治医に戻りたいとずっと願っていた。
自分から別れを切り出した割に。
Sさんのご自宅近くの道はよく通っていて、あの角を曲がればSさんがいると思って、何度も曲がろうともした。
が、都度、やめた。
主治医の手前もあるし、何より合わせる顔がないという妙なプライドもあった。
全く馬鹿げたプライドだ。
ただ、あの角を曲がればSさんがいると思うと、うまく表現できないのだけれども、なんとなく力が湧いている自分もいた。
自分から別れを切り出した割に。
それが、亡くなったという連絡だったので、脱力した。
あの角を曲がってもSさんがいないし、馬鹿げたプライドを排除できなかった若い自分も払拭できないと思うと。
娘さんと、あれ以来、久々に会い、晩年はどうだったかを伺った。
それほど苦しくなかったようだと伺い、少しだけ安堵した。
ぼくが主治医のままだったらもしかしたら苦しかったかもしれないし、もしくはそうではなかったかもしれないし。
もし、ぼくじゃないほうが良かったのかと思えば、わずかながら嫉妬も芽生えたけど、それ以上に、悪くない最期だったことを知れて、ただ安堵できた。
少しだけ成長したようだ。
嫉妬よりも、Sさんを一番に考えられて。
(馬鹿げたプライドはいくらか減ったようだ)
娘さんとの別れ際、Sさんが好きだったというお菓子をいただいた。
もう、あの場で、あの甲高いを声とともに、笑いながら語り合うことはかなわないが、せめて、当時の二人でうつっている写真をみながら食べよう。
コロナ渦のオンライン時代、これまた、あらたな別れ方といいわけでもしながら。
〜オンラインサロンのご案内〜
総合診療をベースに、認知症治療と在宅医療、そして終末期医療に取り組んでいる、事象「患者バカ町医者」の松嶋大が、日々の実践をみなさんに共有し、またみなさんからも共有してもらいながら、これからの「医・食・住」を語り合うサロンです。
https://community.camp-fire.jp/projects/view/209654