奇跡的な必然。
【備忘録として】
1年半くらい前、その方に出会った。
独特のオーラを持ったその方とは、結局、あの日限りで、この日まで再会することはなかった。
ただ、その方は、何人かの患者さんをご紹介くださった。
「盛岡にいい先生がいるから、行ってみなさい」という内容だったとか。
光栄である。
わずか一度だけだったその方だが、独特なオーラがあったこともあり、私の脳裏にしっかり残っていた。
そんなあるとき、突如、メッセージが入った。
その方と同じお名前だったが、性別が違う。
メッセージ内容は、「親が深刻な病気で困っている」というご相談だった。
それよりも、お名前が同じことが気になったので、相談内容よりもまずは関係者かどうかをお聞きすると、お子様だということが分かった。
そして、親(その方)に頼まれて、ぼくに連絡しているのではなく、全くの偶然なのだと。
こんな偶然、いや奇跡的なことってありますか!
いやでも、これが現実なのだと思い直し、メッセージのやりとりをする。
なるほど、深刻だった。
お子様は出張中でご自宅にはいないとのことだったが、ぼくは、もう、いてもたってもいられなかった。
すぐに出向くことにした。
50キロ先だったが、そんなことは関係ない。
特別な方が、具合が悪く寝込んでいるのだから。
診察でも、往診ではない。
ある意味で、友人としての訪問だ。
1年半ぶりに再会したその方は、たしかに弱っていたが、独特のオーラは健在だった。
ゆっくりお話をした。
自宅で過ごし続けたいこと、そして、「自然の中で逝きたい」とおっしゃた。
今の希望はと伺うと、腹水をとっていくらでも楽になりたいと。
ぼくは一応医者だから、抜こうとおもえば、そこでも抜けたが、CARTという方法が妥当と思い、かかりつけの大病院に入院することを提案した。
そこで、翌日、その病院に電話した。
今、思い返しても奇妙な電話だった。
ぼくは、その時点で主治医でなかったから、先方には「医者だけれども友人として電話をしています」と伝えた。
とにかく、訴えた。
心から訴えた。
腹水を抜いてほしいのだと。
少しでも苦しみをとってほしい。
今日にでも入院させてくれと。
友人としてのお願いです、と。
幸いにすぐに入院させてもらえた。
ほっとした。
数日後、退院された。
そして、晴れて、ぼくは主治医となった。
光栄だった。
約束を守ろうとあらためて思った。
「自然の中で逝きたい」
それまで不在だった、ご家族と初対面を果たした。
素晴らしいご家族だった。
このご家族のためにも、最大級の力を発揮しようと心に誓った。
病状は一進一退も、圧倒的な力で押してくる病魔に防戦一方だった。
すべての医師が諦める局面だろうし、ぼくも医者だからその状況はいたいほど理解していた。
もちろん、本人は諦めていないし、家族も希望を持ち続ける。
ぼくも一人の人間として、あきらめるつもりはなかった。
やれることはしっかりやろう。
また腹水がたまった。
在宅でCARTで抜こうかと考えた。
しかし、よく勉強すると、CARTでは不十分で、KM-CARTでなければ難しいことが分かった。
そして、その術式が可能な施設は東北では青森だけ。。
あるいは東京。
そこまでいく体力は残っていなかった。
無念というか、悔しいというか、申し訳なさでいっぱいだった。
ぼくに、その知識と技術があれば、その方をいくらでも助けられるにと思うと、腹立たしい気持ちが止まらなかった。
情けない医者だ。
その後、緩和ケアと治療方針について、本人と家族とも複数回語り合った。
ぼくは、この語り合い中、一貫して揺れ続けた。
一人の医者として、一人の人間として。
カラダへの影響として、こころへの影響として。
決して、二元論として語るべきではないことばかりの世界で、こと終末期において、二元論的に選択肢を定めて、決断をしなければいけない局面は少なくない。
単なる医者に過ぎないぼくには、医学的な最適解は持っていたとしても、社会的や物語的な要素までも丸ごと含めた総体としての最適解までは持ちえてない。
だからこそ、本人と、ご家族と、徹底的に語り合うほかない。
個人にとって、ぼくらにとって最善とは何かを。
徹底的に語り合ったが、最期まで答えはでなかった。
臨終の確認ののち、その方との出会いから最期までのことを、ぼくの物語を家族に伝えた。
涙なく、ある意味で淡々と。
最後、立ち上がり、さあ帰ろうというとき、最後の挨拶をすることにした。
ぼくの知識と技術の不足で十分に助けられなかったことをお詫びした。
そして、新たなこと(とくにKM-CART)をしっかり学び、次の患者さんを助けることで、その方に報うしかない情けないぼくを許してほしいと。
ずっと涙を我慢していたのに、ここで涙があふれた。
申し訳ないが、悔し涙だった。
玄関を出て、車に乗り込む際、ご家族一人ひとりと握手をしハグをした。
そして、空を見上げた。
自然の中で往きたいと願ったその方らしく、透き通る青空に、美しい白の雲がそこにあった。
ぼくが、空を見上げる都度、その方にまた出会える。
そして、この青空と雲が、ぼくがその方に誓った責務(次の患者を助けること)をちゃんと果たすかどうか、証人となるだろう。
空を見上げる都度、襟を正すことになる。
そうそう、なぜ、一年半前に、ぼくがその方と出会うことになったのか、そしてその前後のことを、ご家族に教えていただいた。
ぼくと出会った後、その方はとっても喜んでいらっしゃったことを伺った。
なるほど、それで理解できた。
なぜ、ぼくが、今回主治医として立候補したのか。
50キロを超えてやってきて、主治医として努めたいと思った理由。
ぼくは、ぼくの力を必要としている方に、いつでも最善を届けたいと思ってるから。
奇跡的だとおもった再会のきっかけは、やっぱり必然だったのだ。
奇跡的な必然である。
最後の主治医に指名してくださり、感謝いたします。
また、空を見上げたときにお会いいたしましょう。
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総合診療をベースに、認知症治療と在宅医療、そして終末期医療に取り組んでいる、事象「患者バカ町医者」の松嶋大が、日々の実践をみなさんに共有し、またみなさんからも共有してもらいながら、これからの「医・食・住」を語り合うサロンです。
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