目の前の人に最善を尽くす
ぼくの、ポリシーです。
でも、あらためて考えてみますと、これをポリシーと認識するようになったのは案外最近で、確か2013年頃です。
当時、勤務していた医療機関で、私がやろうとしていたことに、あるスタッフが、「そこまでやる必要がありますか?」とバシッと指摘されたんです。
瞬間、脱力しました。
でも、次の瞬間には、「なるほど、そういうことだったんだ」と思い直したんです。
最善を尽くすって危ないなって。
つまり、ある意味でブレーキがない状態。
でも、ぼくにはそれしかないのだと気づきました。
スタッフにいわれたときは一瞬脱力しましたけど、結果的によい気づきを得たので、今となっては感謝している言葉です。(結局、その病院をやめる決断にもなりましたし)
こんなことを書いていたら、小学校時代のことを思い出しました。
小学校5年生のとき、6年生を送る会でのこと。
ぼくは生徒会役員で、会の運営に関わっていました。
会の最後に6年生を驚かせようと、大きなロケット(ダンボールなどで作った)を飛ばそうということになったんです。旅立ちとかけて。
それで、ロケットだから、白いモクモクとした煙が必要だなと思って、先生に相談したんです。先生は一緒に考えてくださって、それだったらドライアイスがいいねと。
それで、当日にドライアイスを準備しょうということになったのですが、これが案外難しい。というか超難しい。
先生にも手伝ってもらいながら、あちこちに相談。
でも、やっぱり無理だという話になったんです。
当時のぼくは諦めきれないんですよね。
だから、すごく粘って粘って・・・、でもやっぱり実現できませんでした。
大きな敗北感と、6年生に申し訳ないという気持ちと。
思えば、あのときも、今と同じですね。
そういえば、いつも、全力でしたね。
たかだが、子ども会のドッジボール大会とかでも本気。
その他もいろいろと。
話は大きく展開して、日々の診療のこと。
最善を尽くしている「つもり」です。
では、何が最善か?
それは、患者さんの数だけあります。
でも、ぼくが考える最善はちょっと違います。
患者さん個人だけではなく、患者さんと私にとって相互にとっての最善です。
だから話し合って決めるんです。
とはいえ、ぼくは所詮医者ですよ。
治してなんぼ。
だから、すごく治したい。
治らないんだったら、せめて少しでも良くしたい。
そこで、ぼくにとっての最善とは、基本、治す(良くする)こと。
このとき、大切なのは治療の技術もさることながら、早期発見、早期治療だと思うんです。
だからこそ、早く出会いたい。
早く出会えなくて、何度も悔しい思いをしました。
もっと早く出会えていて、もっと早く治療できていたら、もしかして、少しでも良くなったかもしれないのにと。
例えば、こちらの物語。
そんな悔しいこともあって、早く出会いたいと思って、詰まるところ、目の前の人に最善をつくすために、「がんなんでも相談外来」なるものを開設することにしました。
一日でもはやく、困っている方に出会えるようにと。
引き続き、「目の前の人に最善を尽くす」努力を怠らないようにしたいと思います。
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