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語る弔辞@町医者エッセイ

人生初の弔辞が患者さんへ向けてなんて、ボクらしいと思う。
 
「コウイチさん、出会えて本当に光栄でした。また天国でお会いしましょう」
 
 このように結んだと記憶しているが残念ながら定かではない。遺影に向き合ったボクに原稿はなく、本能そのままに語り、語りの記憶は涙で洗い流されてしまったから。
 
 
 コウイチさんは重度のレビー小体型認知症を患っていた。
 晩年は寝たきりで、胃ろう栄養、中心静脈栄養を受けられた。入院がお好みではないコウイチさんは、サチコさん(奥様)の愛情溢れる介護を受け最期まで自宅で暮らし続けた。
 
 人間は必ず死ぬ。それは分かっているし、まして徐々に弱っていくコウイチさんの傍にいれば、医学の専門家である私は誰よりも分かっていたつもりだった。覚悟は決めていたつもりだった。しかし、呼吸が止まったとの第一報にはやはり茫然自失だった。
 
 ご自宅に到着すると、サチコさんやご家族はもちろん、多くの仲間たちも駆けつけていた。ボクは涙をなんとかこらえつつ臨終を宣告した。
 
「先生、いろいろな物語があったね〜」とサチコさんがボクに語りかけてくれた。
 
 様々な物語があった。臨終を迎え生物としての命は終えたとしても、ボクのココロの中では物語は続く。ただし、一旦は物語を中締めする必要があるだろう。それには儀式が欠かせないと思った。
 
 「私に弔辞を読ませてくださいませんか?」
 
 人生初の弔辞が自分からの依頼というのもまた、ボクらしいと思う。
 
 
 弔辞は「読む」ものらしい。
 私は公の場で話すとき原稿を用意しないことがほとんどだ。つまり、読まない。ただし、今回は失敗が許されないし、何より弔辞は「読む」ものらしいから、しっかり原稿を作ろうと決めた。
 原稿はいつもの場所で考えることにした。一人、車で移動中のとき。声に出して自分に語りかける。いつもはこれでうまくいく。
 今回は駄目だった。「コウイチさん...」と弔辞冒頭の故人への呼びかけの瞬間、たくさんの物語が走馬灯の如く頭を駆け巡り、灯りが一瞬のうちに涙へと変わる。
 人間の目にワイパーはないから、涙が溢れた瞬間に目の前が見えなくなる。危ない!事故って私も弔辞を読まれる側になるのもマズイので、原稿を書くのも、弔辞を読むのも止めて、弔辞を「語る」ことにした。(赤塚不二夫氏の葬儀でタモリ氏が白紙の弔辞を読んだという手があったじゃないか。ボクも真似よう!)
 
 
 葬儀当日、ほぼ予定通り、ほぼ白紙の弔辞を手に、「読む」ことなく語り切り、コウイチさんとの物語を中締めできた。
 一つだけ予定通りではなかったこと、それは、弔辞を語りきれたこと!私の家族も、診療所スタッフも、弔辞の最中、私が泣きじゃくり語れなくなると確信していたはず(つまり弔辞ストップ!)。周りは驚いていたはずだが、もっとも驚いたのはボクだ。読まずに語ったからかもしれない。

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