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いぎるごどは難儀なの⑤@町医者エッセイ
年を越せないだろうと言われていた祖母が、「あっけなく」年を越しました。
「あっけなく」、周囲には見えたんだろうと思います。
でも、ぼくは「ちゃんと」死ぬと思っていましたから、ぼくは心の中では「奇跡」だと喜んでいました。
医学的には、やっぱり、半年で死ぬのが当たり前だと考えていました。
その当たり前が外れたのですから、「奇跡」でした。
さあ、「あっけなく」だろうが「奇跡」だろうが、ばあちゃんとぼくらの旅は未知の世界に突入しました。つまり、いつ死んだとしても、「がんばったよね」という時間帯です。だって、告知を超えたんですから。
こういうとき、医者・松嶋大の気合がはいります。
医学の当たり前のずっと先にいってやろうじゃないかと。つまり長生きです。そして今回は孫・松嶋大というスパイスが入りますからね、準備は整っています。
日々、フルスロットルです。
一瞬たりとも気を抜きません。わずかな咳、わずかな筋力低下、わずかな◯◯など、見落としません。本人が自覚していようがいまいが、先手必勝で手を打ちます。
そんな甲斐?もあり、ばあちゃんは順調に日を重ねます。
ばあちゃんは、ぼくらチームの気合を感じていたんでしょうか、進行がんだというのに、春から秋にかけてルーチンである畑をやりました。
遠くないうちに死ぬんだから、畑をやらなくてもいいと思うんですけどね。
ばあちゃんは違いました。畑で野菜を作っても、そんなに自分で食べていたわけではないです。産直に出したり、みんなにあげたり、ほとんどは誰かのためです。死が間近だというのに誰かのため。
人間って強いですよね。
秋を迎えました。
さすがのばあちゃんも少しずつ弱くなっていました。
というより、そもそも歳でした。89歳でしたから、がんの有無によらず弱って当たり前でした。
さすがに死の雰囲気が少々ありました。
ぼくは死ぬ前に、ばあちゃんにいいところを見せたいと思いました。
何をしようかと考えた結果、地元の町内会で、故郷のみなさんに医者としてお話をしようと思いつきました。
その姿をばあちゃんにみせようと。
決心したらすぐにうごくのがぼく。
すぐ、町内会の方にお電話をしました。趣旨を説明しました。ばあちゃんが死ぬ前にいいところを見せたいと。
幸いに快諾してくださいました。全く私的なことなんですけどね。感謝してもしきれません。
さて当日を迎えました。
なんと、ばあちゃんが欠席!
何度も誘ったんです。スタッフも何度も。
でも欠席。
理由は、弱くなった自分の姿を地域の方々に見られたくないと。
もう89歳なんだから、そんなの関係ないと思うんですけど。
でも、それがぼくの祖母なんです。
ずっと強く生きてきましたから。地域の姉御のように。
ぼくは寂しかったけど、それが祖母の生き方ですから。
その尊厳を守るのも孫の役割だなと思いました。
そんなことをしてるうちに、寿命と言われた昨年末から1年が近づいてきました。がんを見つけてから2回目の年末です。