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あなたに向けられた感情は

「学生時代に怒られた経験はありますか」

とある企業の面接でこう問いかけられた際、私は固まった。

怒られた経験…?

面接中であることを思い出しフル回転を始めた脳は、高校時代に「制服はきちっと着なさい」と言われたことを思い出した。しかしこれは、スカートを1つ折って履いていたことに対する『注意』であって『怒り』が向けられたわけではない。

これは求められてるものと違うな…

そう判断した私は再び脳内の引き出しを漁る。ところが「何か答えなければならない」という焦りから私の口は答えを見つけるより先に、勝手に話し始めた。

「『家事を手伝え』と、母に怒られたことがあります。学生時代、勉強にかまけてうんたらかんたら…」

「なるほど、それはいい口実ですもんね(微笑)」

どうにか乗り切った…?と安心したのも束の間。面接官は再び問いかける。「それ以外に怒られた経験はありますか?」


だから!ねぇよ!これでも絞り出したんだよ!


なんて悪態を吐くわけにもいかず、仕方なく再度脳内の引き出しを漁り始め、もう下から3段目…ないよ…と思ったところで何とか「これだ!」と思うものに衝突した気がし、急いで言葉を紡ぐ。

「小学生の時、習字道具を忘れて怒られたことがあります」

??

小学生の時???

私はいま大学生で。学生時代に怒られたことを聞かれていて。それに対する答えが小学生の時の話。

終わったな…

悟りを開いた私は開き直って「注意を受けたことはありますが、怒られた経験はありません」と言い放った。面接官にはその後も何度も「本当に?」と念押しされるがここまできたら「ありません」で突き通すしか道はない。開き直ったら怖いものなんてないのだ。



※ちなみにこの面接は合格しました。「なんでもっと怒ってくれなかったんだ…!」と、心の中で両親や担任に八つ当たりをしながら行ったこの押し問答は一体なんだったのでしょう。





「ちょっとKYだよね」

怒られるのが極端に嫌いな私は、所謂「優等生」として昔から過ごしてきた(成績が良い悪いではなく、あくまで素行に関してだが)。

忘れ物がないかの確認。
余裕を持った予習や課題への取組。
先輩や先生とすれ違った際の挨拶。
とにかく徹底していた。

なぜ怒られるのが嫌なのか。

もちろん怒られるのが好きな人はいないだろう。しかし私は恐らく、平均よりも『怒り』の矛先を向けられるのが苦手だ。もっと言うと、自分への負の感情に過剰に反応してしまう。

ノリが悪い

鬱陶しい

役立たず

要領悪い

なるべくそう思われないように、当たり障りなくソツのない言動を心がける。がっかりされたくなくて、相手が何を求めているのか考えながら言葉を紡ぐ。

そんな風に生きてきたから、自分の意見を持つことなんてすっかり忘れて。何を聞かれても曖昧な返事しかできなくなって。

おっと脱線。

なぜ私が他人からの負の感情にあまりに敏感になったのか。それは小学生の時に友人が放った、たった一言だった。


「まちってKYだよね」


KY=空気読めない

これが流行った時代がありました。なんか英語でかっこいいぞ?と意味もなくKYを連呼していた時代がありました。そう、きっとこれを私に向けて放った友人も、軽い気持ちで、使ってみたくなったのだと思います。

しかし放たれた私は今より幼く、未熟で、その言葉を笑い飛ばすことが出来なかった。


言葉は人を簡単に傷つける。

そして人は簡単に傷つく。


だからこそ、言葉は選んで紡がなければならない。

なんて綺麗事で纏めたいわけではないのだが、私自身は小学生の何気ない一言をきっかけに負の感情を恐れるようになった、ということをふと思い出したため筆を取ってみた。

どう思われようが平然としていろと言われても無理な話だが、来年からは社会人になるわけで。いつまでもビクビクしているわけにもいかないのだから少しの傲慢さを持つ訓練を積みたいものである。