この世は地獄が正しいのかも知れない
精神科に入院した14年ほど前のことを思い出した。
精神科の入院というのは、薬を飲んでとにかく休ませるというような感じ。(中にはもっと緊急度が高い人もいるけど)
制限も紐がない衣類と携帯は時間制限がある、ということくらい。
時間になれば食事が出てきて、1日1箱という制限はあるけどタバコも吸えて、おやつとか好きなものがいつでも食べれて、時間と場所に限りはあるけど外の運動場で散歩が出来て。
何も頑張らなくても生かされ、肉体の安全は保障されてる。
入院してすぐ歳が近い友達が2人出来て、人生のことや他愛のない話を毎日喋って。
医療保険に入っていたし、高額療養費制度もあるから大きな黒字にもなった。
入院すればするほど、お金が入ってくるという状態だったのだ。
それは多くの人が求めている「天国」である。
でも、その天国のような環境に1ヶ月ももたなかった。
本当に暇。退屈。つまらない。
だるい。ずっと毎日同じ風景。
飽きた。つまらない。
あれやりたい、これやりたい。
あの人に会いたい。
早く自由になりたい。
ナースステーションの後ろに映る、隔離され拘束具をつけられながら暴れている人が映る監視カメラの映像が刺激的で、それが内心楽しみだったのは今だから言える話。
それはまさに、天国の中の地獄の映像だった。
この世は地獄という説があるという。
死んだあとは天国であり、今生きているこの世は地獄。
でも、地獄で良いのかも知れない。
私たち人間には、どうしたって欲がある。
例えば排泄を我慢している間は地獄であり、排泄後は楽になる。
欲を満たさなければ、私たちは生きていけない。
欲がある限り、私たち人間は地獄を経験し続けるのだ。
天国を経験して分かった。
天国だけじゃつまらない。
たしかに天国の環境は一時的な快楽は味わえる。
しかし、それも慣れてしまうと、肉体は生かされているけど、心は不幸だ。まったく満たされないのだ。
欲まみれの人間が経験する天国というのは地獄であった。
人生は暇つぶしという言葉の通り、そうなのかもしれない。
暇つぶしだったら、他人なんて関係ない。
もっと自分の好きなもので生きて、暇つぶしという名の地獄を、もっとたくさん味わっていこう。
そして、天国へ還る時「あー地獄、結構楽しかったな」と思えるように、100%の私を生きる生き方が出来れば、それが「幸せ」なのだ。きっと。