「第一部 形而上学」の話「身近な法則」
日常の形而上法則
1,生活の中の法則
「法則」別に堅苦しいことではなく、「決まり、おきて」のようなこと。
「いつでも、どこでも、同じ条件なら成立する関係」
古来より「形而上の法則」は日常にあふれていて、
「言い伝え」「諺(コトワザ)」として知られ、理解されてきた。
2,たまたま
「偶然だ」「たまたまだ」と、唾棄(ダキ)されるのが常。
しかし、諺のように国を超えて何人も何百人も同じようなことを言う人がいるというのは、考えるに値する。
これらは、長年積み上げられた生活の中での経験を言い伝えられたもの。
今でも多くの人が体験し、納得する事実。
認めざるを得ないし、もしそれがあるのであれば、そのことを利用する方が賢明な生き方なのではないか?!
諺(コトワザ)
1,先人の知恵
例1:「噂をすれば影」という言葉
→「ある人の噂をしていると、その人がやってくる」、「あの人どうしてるかな?と考えた人から電話がかかってくる」というような現象。
形而上的→その人が来るから、あらかじめ「(ある力に)言わされる」
その人から電話がかかってくるから、その前に「(ある知恵に)思わされる」というあるtからの能き(ハタラキ)。
例2:「二度あることは、三度ある」
→嫌なことでも1度あると、とかくもう一度同じようなことが起こる
形而上的→一度目で反省したり、変更しないから、再度同じことを
「(ある力によって)発生させられる」という現象。
例3:「虫の知らせ」
→なんとなく嫌な気がしてその場所に行かなかった、電車に乗らなかったら、その予定していたところで事故が起こった
形而上的→危険があるから、救うために「(ある知恵によって)思わされる」という現象
これらは単なる言い伝えとして終えていいものなのか?!
※ 列車の例のように「全員が嫌な思いがしたら、その電車にはのらないのに
」という疑問。その次に、事故にあった人の中でも「助かる人」「助からない人」「重症」「軽傷」など分かれる。
それぞれ、形而上の法則が綿密(メンミツ)に当てはまる。
2,法則の現れ
例1:「似たもの夫婦」「類は友を呼ぶ」「同じ穴の狢」
温時習館を続けていることからおこる現象でもあるが、同じ考えや、同じ趣味の者、性質のものが自然に集まったりする。
再婚の相手が前と同じような人だった‥‥。
→自分の好みでそのようになったように考えるが、その好みが起こるように「させられる」のも大自然の力。
都合の良いことの場合は構わないが、悪いことの場合等、いくら人間の力で制御したり、反対しても起こってしまう現象。
(因縁の類、求心運動と順応性、習慣性の歪み、性能本能:法則)
例2:「身から出たさび」「身の程を知る」「楽は苦の種、苦は楽の種」
物事に失敗した時や不幸になった時に言われる言葉。
善いことをすれば善い結果が、悪いことをすれば悪い結果が。
直ぐに表れる場合とすぐに表れない場合があり判断しにくいが、
全て「原因の結果」という法則が能いて(あたら)いる。
反対に、悪いげんいんがあるならそれをとっておけば、次にいい結果が出てくる。
(因果応報、因果業報、因縁苛果、分限:法則)
例3:「一難去ってまた一難」「二度あることは三度ある」「三度目の正直」「大事の前の小事」
同じようなことが次々と起こっていることに意味がある。
その意味を知って、実行に移せば、問題は少なくなってくる。
原因の究明解決ができていないから。
(苦集減道、意趣の所産、ハインリッヒの法則、周期運動:法則)
例4:「親の因果が子に報い」「先祖の余慶」」「積善の家に余慶あり」
もちろんお互いの影響もあるが、因縁の類、連れの中の子という法則の表れ
(因果応報、因果律、感謝報恩、自己の住位、運命宿命:法則)
例5:「捨てる神あれば拾う神あり」「苦あれば楽あり、楽あればくあり」「犬猿の仲」「水と油」
気の合うものと会わないものが同時に存在している。お互いが干渉しあい、また反発、融合しあっている現象。
相対するものは必要があって存在している。
(相対の相、相対物質の同時存在:法則)
実際にはもっと学んでみないとわからない法則が多数あるが、家庭、職場の人間関係などで発生する出来事も多い。
知らずに生きるのと、知って先を予想して準備して生きるのとでは、生活の効率、能率が大きく違う。
「こうすれば、こうなる」「次はこうしたらよくなる」と、法則を知ることで、賢く、無理、無駄、ムラをなくすことができる。
危険予知
1,予知能力
インドネシアの地震の時、発生と同時に津波を予見したのか、象が山の方へ走って逃げだした。津波、大雨の浸水地帯からは、ネズミや蛇等の小動物があらかじめいなくなっている。どうして危険回避の行動がとれるのか?今の人間の科学では説明できないことだ。
例1:木が倒れたのを見た瞬間「身近な誰かが死ぬ」と何気なく思う。
その後、友人がなくなったのがわかった。
胸騒ぎがして仕方がない時「身内が危篤になった」と聞く。
どうしてこのような事が起こるのか?
これは、見える聞こえるという、耳や眼などの肉官的機能の能力以上の心の現象。(意通力)
例2:生理まえに、頭や腰、胸が痛くなる。乳児が泣き出すと、同時に自分の胸が張っているのに気づき乳をのませる時間だとわかる。
(前知らせ、思わされる)
例3:夢に見たことが現実に起こる
正夢、夢知らせと言われる現象(夢知らせ)
そのほか、「カラスのなきが悪い」「出頭に下駄の鼻緒が切れる」「眠気がひどいと、身内が死ぬ」云々という。
科学では解明できない現象が実際にあるのだ。
2,危険回避
これらの例のような「何か嫌だ」という危険の予知ができても、「出かけるのをやめる」とか、「たまたま助かった」というくらいで、前向きに避けることができなかったのが実際。
形而上学では、危険をあらかじめ避ける方法を学べる
※ 占いによる危険回避や不幸回人は違い「再発しない」「善くなるよう」「善処」に仕向けていく方法
まだまだ、序章だww
だから、実際にどうすればいいのか!!
これはまだわからない。が、そもそも実際自分が、この世(見える世界)で過去に体験したきたことに身に覚えがあることが沢山。
これが単なる偶然ではなかったのかもしれない‥‥と思ってきた。
そろそろ、本題の形而上学について学べるかなぁって思ってる。