私と素数と生と死と②(ADHD障害を持つ私の自分探しの旅)
私がADHDと診断されたのはつい最近の事。
それまでは、自分でも周囲から浮いている自覚はあったものの、社会生活が全く営めないわけではなかったので、自分にそんな障害があるとは思っても見なかった。
また、社会的にADHDを含む発達障害について世間的にも認知がされてきた時代になってきたからこそ自分にも当てはまるのではないか?と自分自身で気付けた部分も大きい。
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ここで少し発達障害についてサラッと説明していこう。ウィキペディアから引用させてもらうと、
発達障害とは、生まれつきの脳の障害のために言葉の発達が遅い、対人関係をうまく築くことができない、特定分野の勉学が極端に苦手、落ち着きがない、集団生活が苦手、といった症状が現れる精神障害の総称。
の事を言う。
人には多少多かれ少なかれ個性としてそういった面も含めて皆凸凹している部分もあるけれど、でも、定型発達の人はきちんと脳が補正してくれる。
しかし、発達障害はその補正が出来ない。
なんせ、その部分の能力を持っていないから。
発達障害とひとくくりに言っても大体今の医療の世界では大まかには以下にわけられているようである。
➀自閉症スペクトラムは、幼児期から他者とのコミュニケーションが極端に苦手、こだわりが強い、融通が利かない、といった症状が見られる。
いわゆる空気を読むのが苦手なタイプで、相手の気持ちを慮る事が苦手なタイプだ。
また、共感能力も定型発達の人よりも薄いため、本人に全く悪気がないが相手を傷付ける言動をしてしまう事も多い。
➁学習障害(限局性学習症)とは発達障害の一種で、知的水準や身体の機能に大きな障害はないものの、読み書きや計算など特定分野の学習が極端に苦手となるのが特徴。
③注意欠陥多動性障害(ADHD)は、「不注意」「多動性」「衝動性」の3つの要素が見られる神経発達症(発達障害)。周囲には障害として理解されにくく、粗暴で落ち着きのない人と思われることも多く、大人の場合には、集中力がなく、自己管理ができないという否定的な評価をされてしまいがち。
男性の場合は幼少期などでは落ち着きがないと言う行動が目立ちがちだが、女性の場合行動よりも頭の中で常に色々な事を考えていて思考がまとまらない、うっかりした忘れ物が多いなどの特徴がある。
これらは、もちろん、あくまで概要であり、また一概に線引きをできるような類のものではないので、実際に障害があるかどうかの見極めや判断は専門科でも難しい。また、複数の障害を併せ持つ場合もある為、一概に私はADHDだ!!と決め付けることは困難であり、発達障害という枠がどこからどこまでを示すのか、曖昧でもある。
しかし現実にこの様な症状が突出していたり、当てはまる部分が多く、現代社会において普通の生活を送ることが困難な人が多いのも事実である。
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私は幼い頃より片付けが苦手だ。
いわゆる片付けられないオンナである。
自分だけの部屋を与えられてもいつも床には物が散乱しており、どう頑張っても整理整頓ができない。
両親からは常に叱られており、自分でもなんとかしなくてはと思いながらも物がありとあらゆる場所に散乱している。
幼稚園時代もよく先生に叱られていた。クレヨンを片付けないで、そのまま園庭に行ってしまったり。帰るときには必ず外して帰る名札を付けっぱなしにしたり。
なんで自分には出来ないのか、不思議で仕方がなかったが、まぁ、今となれば頭の中に常に色々な思考が散乱しているのですぐ他の事に気を取られがちなんだなぁと思える。
でも、本人も周囲もとっても困っているのであるので、どうにか工夫できないものかと試行錯誤している毎日だが、その毎日の中で常にポカンと忘れ物をしていくので本当に本当に腹立たしいし悔しい。
昨今のAI技術の発展にはおおいに感謝し、助けられている部分もあるて。スマホのカレンダーリマインダー設定やGPS機能などである。
が、そんな便利なAIですらリマインダー設定をしたつもりでも実はしていなかったり。
スマホなど、いつも手元にあるがゆえに、いつも何処かに置き忘れ、家の中を家の電話を持ちながら見つかるまで、探索するのは日常茶飯事。
たいていベッドやキッチンなどであるが、洗濯物を干している時に持っていきそのままベランダに放置だったり、畳んだ洗濯物の間に置いてそのまましまってしまったり、買い物をしたあとなどはなんと買い物をしたお店の買い物かごの中や棚の上などにうっかり置いてくる事もしょっちゅうである。時には冷凍庫の中から見つかったこともありキンキンに冷えたスマホを見て情けないなぁと思う日々でもある。
首にぶら下げとけばいいと思うのだがこれまた、感覚過敏なので締め付けられる感覚が苦手で、結局首からすぐ外してしまうので意味がない。
洋服のタグのチクチクや締め付けられる感覚などがとても嫌いでこだわりも多い。
ぼーっとしている時はたいてい頭の中で、他数の考えがちごちゃごちゃ話している為周囲に対して注意力が散漫である。そのため電信柱や停車中の車によくぶつかりながら歩いている。
六本木ヒルズのガラスの回転ドアにぶつかった時は私の顔の跡がガラスドアにくっきり残ってしまい、痛いやらはずらしいやらで、早く立ち去りたいがこの顔のあとを残していくのも恥ずかしくオロオロしてしまった。
しかも、それが回転しているので自分もハンカチで拭くとなると回転ドア内をぐるぐる回る羽目になる。トホホ。
空間把握能力が著しくかけており、距離感が掴みづらい。その為平面でしか物事を捉えられず、荷造りなどは極めて苦手だ。
いわゆる方向オンチで地図が読めない人である。
立方体の展開図や、見えない後ろの立方体の数を考えることも不得手である。
とにかく人から見たら私の言動はおかしいらしい。
自分では至って真面目に普通に生活しているつもりなのだが、どうしても何か変なようである。
人と同じように普通の生活をしたいだけなのにどうしても浮いてしまう。
それを常に考えているので更に頭の中がごちゃごちゃになっていく。
なので、どうしても浮きがちの自分の周りには仲間がいなかった。
花いちもんめという遊びがあるが、わたしはこれがダイキライ。
幼稚園時代は、いつも最後まで指名されずに残される事も多く劣等感を嫌と言うほど味わった。
人気者の子は常に指名されていくけれど私はいつも最後まで残される。
他の子よりも目立たない様に目立たない様に生活しているつもりでも、きっと他の方からみたら何かがなんとなく変だったのであろう?
際だって明らかに何か変な言動をしているわけでもないがなんとなく、ただなんとなく、他の子よりも少し挙動不審だったので、皆も具体的に何かが違うと指摘してくるわけではないが、少し遠くで私の事を見ていたのであろう。
だから、私は常に無意識に人の顔色を伺いながら生きてきたようである。
と、同時に自分の存在意義もなんなのかわからなくなっていくのである。
皆と同じように普通にご飯を食べて、寝て起きて、同じ様な事をして、真似しているつもりなのにどうもどこかずれているらしい。
そういった意味において、存在意義があるかどうか議論されていたり話題にされたりする素数となんとなく、似ていると感じてしまうのだ。
続く
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