劇場で感じた不愉快
ある劇場で受けた嫌な印象について書く。こんなことを書くと、文句ばかり書くなとクレームが来そうだ。しかしそれだけでは劇場の将来はないと思う。ダメなものはダメと、誰かが書かないと、それが当たり前として通用してしまう。だからはっきりと書く。とはいえ固有名詞は敢えて省く。
先日とある劇場で、一人のタンバが彼の推しではない踊り子さんに向けて、なんと「クシャクシャに丸めた千円札を」「投げつけた」。
もちろん理由はある。彼の席からは直接に彼女に手渡すには離れていて届けづらい。席も横に随分歩かないとかぶりには行きづらい。だから渡すためには投げるのが手っ取り早かった。だからクシャクシャに丸めて紙玉のようにして投げやすくした。
とはいえ、そのタンバは仮にその推しに対してだったら、チップを渡すのに紙屑のように丸めて投げ渡すのだろうか。その踊り子さんはまだ年若く、あまり人気が高い方ではなかった。そこでは他の客も人気低い踊り子さんを蔑ろにしているのがはっきり見えた。絶対にあんなふざけた真似はやめてほしい。
おまけにこの男、その見下してる踊り子さんの時に限って、タンバを動かして微かだがカチャカチャ音を立てる。もちろんタンバを扱えば多少の音は出るが、それはタンバにとってわかりきったことなので、ほとんどのタンバさんはポラ中など差し支えないときにソッとタンバを動かして準備などしている。しかしこの男は、見下している踊り子さんの演目中に動かして音を立てた。そしてそれは私の耳のすぐ近くでやられたから音がはっきり聞こえた。
自分の推しはチヤホヤするが、そうでない踊り子さんには舐めた真似を平然とする。そんなタンバ男の推す踊り子さんは、顔に泥を塗られていると同じだ。実に恥晒しなタンバ男である。
その劇場では、踊り子さんをナメた行為が他の客もあけすけに行っていた。人気の踊り子さんにはチヤホヤするが、そうでない場合は例えば、かぶり席が荷物置きっぱなしで1、2演目も空にする行為が平気で平然と何人もが行なっていた。皆がするから我もする感じで、ごく当たり前に。
演目中に出入りするのはもう当たり前に行われている。皆がやるから俺もやるという雰囲気。ゾロゾロと出入りして平気だ。恥晒しな。ただ、人気の踊り子の時にはしない。これが一番腹が立つ。
またあるかぶり席の者は演目が始まってもしゃべり続ける。新規ではなく、明らかに常連の男連れ。特に不人気の踊り子さんの時にはあけすけに喋くっていた。腹が立つからその男の耳元で爆音拍手を聞かせてやった。こちらを振り向いていた。その目は、彼らが当たり前のことをしているのに、こいつはうるさいなと言わんばかりだったが、その後は少し喋りが納まった。
何か言ってきたならこう言うつもりだ。「あなたの喋り声は許されるけど、僕の拍手は許されないのですね?」
こう書くと必ず、トラブルの元だからスタッフに言ってくれと定番のレスが来るのだが、こうした喋くりを通報しても、その場を押さえない限りはスタッフは手を出しようがないし、そもそも手を出したがらないというのは、俺は今まで何度も繰り返し経験してはっきりわかっている。複数の劇場でスタッフに喋りを通報したが、現場押さえない限りは注意しない。やりたがらない。まあそりゃそうだわな。「他の客が、あんたが喋っていたと言うから、あんたに注意しています。」なんて言いようがない。
この手のお困りにスタッフは手を出してくれないと、経験的に知っている。(がんばってる方にはごめんなさい。しかし圧倒的に多くのスタッフさんはこうなんです。あちこちの劇場で、何人にもスタッフに頼んだ経験から言っている。)だから自分が付け入られないように、極めて強い気迫をもって現場で対処する。何かあったら外に出て丁寧に時間をかけて「話し合う」覚悟でいる。それをやったことはないが、言い返してきたら確実に外に連れ出す気迫をギンギンに持っていないとこんなことはできない。(こんなことを客にやらせたくないなら、スタッフさんにはもっと対処してほしいが、そこまでのマンパワー、人員がいないのもよく知っている。だから嫌だけどやることがある。)しかし今回はやらなかった。踊り子さんと劇場が困ると思うからだった。しかしもう行かない。
こんな人を小ばかにした雰囲気の劇場からは、確実に客は遠のくだろう。少なくとも俺はもう2度と行きたくもない。そんな未来では踊り子さんの踊る場がジリ貧となることが見え透いている。だから嫌がられるのをわかっていて、敢えて書いた。あんな連中のいる劇場には俺はもう行きたくない。大切な人に泥をかけられた気持ちで憤懣やるかたない。極めて憤慨している。