見出し画像

なぜゲームに「飽きる」のか

こんにちは、まっくです。

最近APEXにハマリまくっております。どのぐらいハマっているかというと最近累計プレイ時間が1200時間を超えました。こんなに同じゲームをやり続けることができるのもひとえにモチベーションが高いからですね。言い換えれば「飽き」が来ないからです。

なぜ飽きがこないのでしょうか?

逆にいつ飽きが来て、やめてしまうのでしょうか?

今回は、格闘ゲーム界のみならず世界中みても超一流のプロゲーマーである梅原大悟選手のラジオから、その答えのヒントを頂いたので自分なりの解釈で書いていきます。


【ゲームの面白さとはどんなところなのか?】


本題に入る前に、そもそもなぜ人はゲームを面白いと感じるのか。ということに関して考察していきます。

以前、MTG(マジックザギャザリング)という世界初のトレーディングカードゲームを発売している会社の開発担当である方が、非常に面白い記事を執筆しているのを読んだのでその文の一部を紹介します。


ゲームとは、
目標があり、制限があり、行為者性があり、
現実的意味がないものである​。


もし興味があるのならばリンクを貼っておきますので読んでみてください。


上の記事で筆者は

「ゲームをやること自体は何の(現実的に)必要性を持たない。それどころか持たせてはいけない。」

と語っています。(一部ゲームで生活をしている人を除く)

ではなぜ必要性は持たせてはいけないのでしょうか?
その問いに対して筆者はこのように述べています。


「ゲームとは、プレイする体験を求めて行なうものである。直面するあらゆる妨害を実生活に基づいて分類すると、ゲームはすぐにその意味を失ってしまうのだ。」


難しく言っていますが、要は「やりたくないけど、生活の為にやらざる負えない条件を設定してしまうと、それはゲームではなく仕事になってしまう」ということです。

皆さんの中に仕事を進んでやりたがる人はあまり多くないと思います。少なくともこの記事を読んでいる方はそうだと思います。
何が言いたいのかというと、「現実世界では必要性に駆られてやらなければならないことを、必要性を排除した自分の世界で自分の好きなように世界をシュミレートできるからこそゲームは面白い」のです。


上記のことを僕の好きな風に表現すると、

「自分だけの妄想を誰からも咎められることなく好きなように画面の中で実現できる現実逃避行為」

になります。

とてもいい響きですね。
言い方が尖ってしまいましたが、ゲームの世界においては現実世界の不満を持ちむことなくその理想的な世界を満喫することができるのです。
これこそが人々がゲームに対して求めるの面白さの正体だと思います。


現実はやりたくないことだらけで、
なおかつできないことだらけ。
でもゲームの世界ではそれらは一切ない。


素晴らしいものですねゲームは。
面白いと感じる感性は人それぞれだと思いますが、ここまで理想的な世界を提供されてそれを拒む人が果たしてどれだけいるのでしょうか?
それゆえにゲームは様々な人に娯楽として楽しまれていると思います。


【そんなに楽しいのになぜ飽きるか?】



今回の本題ですが、前項のゲームの面白さに関して散々語ってきた僕ですが、同じゲームをやり続けることで当然飽きが来ます。
なぜ飽きが来るのでしょうか?正直言って「飽き」といものは来てほしくはないです。ですが来てしまいます。必ずと言っていいほど飽きは来ます。

その原因は何でしょうか?

ここで冒頭に少し紹介させていただいたプロ格闘ゲーマーの梅原選手が、過去にラジオで「梅原さんは同じ格闘ゲームをしていて飽きないのですか?」というはがきに対して、答えた回を一部紹介します。


「いつだったかな?僕はいつも通りゲーセンでゲームをやってたんですよ。そしたら、見かけない子が僕と同じタイトルの格ゲーやってて、しばらく様子見してたんですよ。だけど、1週間ぐらいたったときに他のゲームに移ってたんですよね。急に「飽きた」って言ってやらなくなっちゃったんですよ。その時にふと思ったんですよ、もしかしてこれはゲームに飽きたんじゃなくて、このゲームでこれ以上強くなれなくなった自分に対して飽きたんじゃかって。


なるほど。と僕は思いました。

確かに日々同じことの繰り返し、それが理想的な世界であっても、すでに何度も見てきた風景・ストーリー・構成では新しい発見もないし、感動も回数を重ねるごとに少なるでしょう。

その発見のなさと感動の減少が「飽き」の正体だと梅原選手は語っています。
競技としてゲームを10年以上やり続けた梅原選手であるからこそこの飽きの正体に気付いたのだと思います。
そして飽きの正体を教えてくれていると共に、その回避の方法も教えてくれています。
実際皆さんも不思議に思ったことはないでしょうか?
「なぜプロゲーマーは同じゲームで飽きないの?」
その答えがこれです。

「僕は毎日その日に発見したことやコンボの研究の結果を一つでもいいからケータイのメモ帳に残してる。次の日それを見返して、やっていないことをやってみる。それをすることで、毎日新しい発見があることで自分で自分を飽きさせないことができる。」

飽きが成長しないことに関連づいているのならば、成長を止めなければいい。そう結論に至ったわけです。プロゲーマーと呼ばれる方たちは、常に試合に勝つ方法を研究しています。そこで発生する研究の量は膨大で、並大抵の時間ではすべてを消化することはできません。

発売して7年以上になるゲームですら、キャラの追加や技の調整などで日々新しい戦法が生まれ、その対策方法が研究され、そのまた対策に対する新しい戦法が生まれているのです。この研究が続く限り飽きは来ないし、ゲームをずっと面白く遊べることが可能になるのです。

しかし、これにも例外はあります。それがアップデートの無いゲームです。
今までの話は「格闘ゲーム」という運営と対戦相手が存在し常にゲーム内外問わず変化のあるゲームであるからこそ成り立っています。これはRPGなどの、追加のコンテンツで物語の主軸に色を足すジャンルなどでは通用しせん。
ゲーム側の変化がなければ、いずれプレイヤーはすべてのアイテムを手に入れ、クエストを消化し、ゴールまでのタイムアタックなど、やることをやり尽くすことができます。

こうなってしまえば飽きが来るのは必然で、しょうがない事です。

少し前に書いた梅原選手の言った成長できることが無くなってしまったらですから。

人は楽しくない事・成長しないと思った事をやり続けることをしません。それが仕事であれば生活の為の必要性のため続けることができますが、ゲームでは前項でも書いた通り必要性がありません。

必要性がなく、成長できる楽しみも感動もない。
それが「飽き」というものの正体なのです。


【最後に・・・】


ここまで読んでいただきありがとうございます。
僕なりにゲームの飽きの正体に関しての考えをまとめてみました。

これに関して記事をまとめようと思ったのは、昨今、1年間に多くのゲームがリリースされ、私達は多くの選択肢の中から自分が興味が惹かれたゲームを選ぶことができます。

ですが、せっかく数ある中の自分が選んだゲームに対して「なんとなく飽きたから」といってそのゲームを離れ、次の似たようなゲームに飛びつくも、また「なんとなく飽きた」と言いそのゲームの奥深さ、すなわち真の面白さを理解しないまま辞めてしまう。そんな勿体ないことをして欲しくないと思ったからです。

あなたのやっているゲームは、まだ出会えていない感動があって、素晴らしい魅力を秘めていて、成長できる面白い要素があるよ教えてあげたかったのです。

僕は1つのゲームをやり続けるタイプなのですが、その反対に多くのゲームをやるタイプもいます。どちらのタイプもゲーム作品に対する情熱は変わらないと思っています。

それでは皆さん僕の記事を読んでより一層、今後の人生ゲームがより豊かになりますように...。


おすすめ本
梅原選手の「世界一長い期間賞金を稼いでいるプロゲーマー」としてギネス認定された理由と、高いモチベーションを持ち続けることができる理由が書いてあります。

2021/5/24 誤字訂正・一部変更加筆

いいなと思ったら応援しよう!