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[000]年頭所感2020


新年になるとどうしてだろう、何かを始めたり、何かに区切りをつけたくなる。

実はここ3年ほど、正月から日記をつけることに挑戦してきたがどれも挫折に終わっている。そのため今年はハナから諦め、手を出さなかった。

こういった、「継続は力なり」タイプの代物がなかなかちゃんと続かない気質なのは、10年以上の実績をもって自分自身証明してきたつもりだ(いばるな)。
だが、この気質と一緒に墓に入る決意をもうそろそろするべきなのかしらと思えば、いやいやそんなそんな、まだ早いぞバカ野郎もっと抗いなさいよとばかりに、天使と悪魔が頭の中をめぐりめぐって、此度も年を越してしまった。


ただ、かねてより始めたかったカメラを、趣味のリストに加えた。
根気強く続けるもよし、日和見でやってくもよし、そんな都合のいい趣味を見つけられたのかもしれず、ライフスタイルにまた少し角度をつけることができたように思う。

当時ガラケーから移行して数年が経っていた学生時代、携帯電話片手にサークルの先輩、後輩のあられもない姿を写真という形でもって数多撮影し続けてきた自分にとっては、これまたひとつのターニングポイントになるような気がしている。駅のコンコースや交差点では早速ながら、僕カメラ買ったんですよ!感満載の人を演じてパシャパシャやっている。


2020年のテーマ

2019年は疲れた年だった、などとひとつひとつ細やかに取り上げ振り返りながら言及して整理したいところだが、せっかく2020年になったというのにそれではあまりにも幸先は良くないだろう。

ということで、「年頭所感」なんて大仰に謳ってはみたものの、つまりは「2020年の目標・抱負」である。すでに1週間が過ぎようとしているが、思いついたモノを「今年のテーマ」として、以下に並べてみることにした。


①学びへの貪欲さ

②3時間台

③後悔のないラストイヤー


趣味などのコミュニティ・クラスターで仲の良い人、Twitterで知り合った人、旧友たちであればわかるかもしれないが、自分のためにひとつずつ整理しておきたい。


“①学びへの貪欲さ”は、文字通り、何かを学ぶことを始める、続ける、止めないという意味にある。
自分は日頃から学びへのモチベーションは高い方だと自負しているが、大学の卒後数年を振り返るとあまり良い過ごし方をしていなかったのは事実で、結局のところ、「やりたいことがよくわからない」という名の使い古された落とし穴に綺麗に落ちた一人だったように思う。

卒後いくつかの業界を経て得た生半可な知見は、色眼鏡をあてて自分が見てもあまり有益に働いていないと言える。また、それは、それらが本当に「やりたいこと」ではなかったからだ、と遅まきながら気づかされたことが大きかった。

現在は、前述の業種・業態とはまた別のステージで忙々とやっているわけだが、学びへのインスピレーションを授けてくれたのは、まぎれもなくいまの職種(で出会った人、モノ)だった。

おそらく見つけたのであろうその「やりたいこと」については、例によってツイート連投が止まらない分量になるので()割愛するが、ある意味人生を賭してまで「やりたい」と思えるモノへの第一歩が、来たる春から踏み出せそうなので、学びへの貪欲さは学生時代とは比して比べものにならない程にまで、徐々に高めていくつもりだ。
わくわくしている自分を大切にする2020年にしたい。


“②3時間台”は、自分が2016年秋より趣味として細く長く(?)続けているフルマラソンの目標タイムである。

今年、なにがなんでも達成しておきたいと考えているこの目標タイム「3時間台」は、タイムが4時間を切ることから「サブ4」と呼ばれ、フルマラソンに挑戦する市民ランナーのひとつの目標となっている数字である。

感覚からいえば、これは自らの年齢や運動神経から見ても達成できる目標の一つだと感じていて、「練習に割く時間の確保」と「体調管理」にもう少し意識のウェイトを置くことができれば、達成までのポンチ絵は描けると踏んでいる。

過去、富士山マラソン(’16)、富山マラソン(’18)と2回出走しているが、どちらも走りやすい秋だった点にも配慮しながら、計画的に「サブ4」の仲間入りを達成する年にしたい。


最後に”③後悔のないラストイヤー”を挙げたのは、人生のターニングポイントとやらがまたやってきたなと、手に取るように、なにかに襲われるかの如く感じ取っているからに他ならない。

ラストイヤーとしたのは、アラサーが“サー”になる一歩手前だからだが、①や②も含め、自分が胡坐をかいて座っているところのまわりにあるモノをいま一度見つめ直し、いまだ手つかずのモノや達成したことのないモノへ挑戦するイヤーにするべきなのでは?と強く考えさせられたからでもあった。

そう考えていると、10年前の自分は、本当にいまでも褒めたいぐらいに打ち込んでいた。
大学受験2年目、浪人生活で志望校合格にむけていざ一辺倒になっていたとはいえ、ルーティーンにまみれた時計じかけのような生活をしていた気がする。
まぎれもなく、人生のターニングポイントのひとつめは、いわゆるその10年前だったが、それと同じような”匂い”を嗅ぎつけられるようになっていたのは、なんというか、良かったことだった。嗅覚すら忘れてしまうのは、とっても恐ろしいことだと思う。

そこで、その嗅覚が教えてくれた好機を生かせるように、自分の時間を犠牲にするような安請け合いはもうやめることにしたいと強く思えるようになった。
“バカ野郎、てめぇの時間でやれよ”と口をついて言いたくなることも時々あるが、たくさんの人たちに囲まれたのもなにかの縁。環境に感謝して、自分の時間を大切にして、ラストイヤーを過ごそう。


未来を観る

帰省をすると、いろんな人と話す。

ときにそれは、感動を伴う会話だったり、単なる情報の確認だったり、アップデートのための大掛かりなメンテナンスだったり、様々である。
中学の同級生と仕事や結婚についてマジメな話をし、祖父母や親戚夫婦と年始のご挨拶をし、趣味で出会った人たちと期せず遊戯王のBGMを肴に一晩中飲み明かし―。

2020年が、2019年と変わらない時間の流れをもって続いていくことは普遍の事実であるはずだから、少しでも密度の濃い時間にしていきたいなと帰省を通して感じることができた。


過去を振り返りがちな懐古厨は、おもしろいことに10年前の自分は過去の自分なんてこれっぽっちも見ていなかったことに、ふと気づかされ、なるほどかつての19歳は来たるべき未来を観てがむしゃらにやっていたんだなと、年始早々バツが悪くなりかけた。

未来を観るようにこころがけるには、同期の輝かしい姿を見ていると気圧されそうだが、10年前も”自分とのマッチアップ”だったなと思い出し、2020年は、”2010年”を布団から叩き起こすことからもう一度始めようかな、そう思うことができた正月だった。


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