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そろそろ考えドキ?モヤる“教会文化”全5回シリーズ(5)いわゆる「牧師夫人」問題
2019年10月、キリスト教放送局 日本FEBC制作の新番組「FEBC Sprout!」の初回ゲストとして招かれて話した5回シリーズ(各15分)。日本の教会に根強く残る因習の中で、特にモヤるもの5つを厳選してツッコミを入れた。時代も社会も変わりゆく中で、そろそろ見直す「考えドキ」ではないだろうか!?
▼日本FEBC 公式サイト
Vol.5 いわゆる「牧師夫人」問題
この間、TwitterをはじめとするSNSでもさまざまな議論が展開されている「牧師夫人」問題。独身制を続けるカトリックと異なり、プロテスタントの牧師は結婚ができる。もちろん、生涯結婚しないという牧師もいるが、結婚して家庭を築く牧師も多い。その場合でも、
夫婦ともに牧師の場合
夫が牧師で妻が信徒の場合
妻が牧師で夫が信徒の場合
夫が牧師で妻が非信徒(ノンクリスチャン)の場合
妻が牧師で夫が非信徒(ノンクリスチャン)の場合
その他
……と、バリエーションがいろいろある。なかでも典型的な事例として論じられるのは、主に「夫婦ともに牧師の場合」、あるいは「夫が牧師で妻が信徒の場合」の妻が置かれた境遇をめぐる差別的・抑圧的な扱いについてである。
そもそも「牧師夫人」という呼称自体が、被差別的な立場を温存する要因だとして忌避する声もある。一方、望んで「牧師夫人」になったという当事者からは、「牧師である夫、そして教会に誇りをもって仕えているのだから他人にとやかく言われる筋合いはない」という声はあり得る。
では、改めて何が問題なのか。
すでに「キリスト新聞」紙上でも、機会あるごとにさまざまな角度から問題提起を続けてきた。
牧師だけの、配偶者だけの問題ではない通底する課題
よく誤解されがちだが、いわゆる「牧師夫人」問題は、なにも結婚した牧師だけの問題でもなければ、牧師家庭だけの問題でもない。すべての教会関係者が、ある意味「当事者」と言える。
あるべき「教会観」「牧師像」「牧師夫人像」「信徒像」といかに向き合い、本質を見極められるかという根源的な問いでもある。あえてこのテーマを最終回にもってきた狙いは、そこにある。
この問題を乗り越えられなければ、教会が健全に刷新されていくことは望めない。逆に言えば、この問題さえクリアできれば、この間、指摘してきたさまざまな「モヤる教会文化」についても、おそらく解決の筋道が見えてくるに違いないのだ。
モヤる“教会文化” 全ラインナップ
さて、最後までお付き合いいただいた皆様の「モヤモヤ」が少しは解消されただろうか。まだまだ他にも、見直すべき教会文化は残っているはず。機会があれば、それらについても続けて取り上げたいと願っている。さらに「モヤモヤ」が深まったという方には、ぜひ他のnote記事もお読みいただきたい。
新番組のスタートにあたりお声がけいただき、丁寧にインタビューしていただいたスタッフの長倉崇宣さん、そして音源をご提供いただいた日本FEBCに心より御礼を申し上げたい。ありがとうございました。