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歴史でも教養でもない「キリスト教のリアル」(2)牧師・神父あるある
牧師・神父たちの生態をリアルに実感していただくために、「あるある」を列挙しました(もちろん、いずれもすべての牧師や神父に当てはまるわけではありません)。なお、一部は「クリスチャンあるある」と重なる部分もあります。
1 初対面のノンクリスチャンから「意外と普通ですね」とがっかりされる
一般社会の中には、牧師や神父に対し、常に冷静沈着で清廉潔白などこか浮世離れした「聖人君子」というイメージ(あるいは「そうあってほしい」という願い)が根強くあるようです。もちろん、「神からの召しに応えた者」という意味では一般の職業と同一視することはできませんが、働けば疲れもするし、悲しければ泣くこともあります。時には間違うことだってある、ごく普通の人間です。過度な期待は禁物です。
2「牧師(神父)さんはいらっしゃいますか?」と聞かれ、返答に困る
神父の場合は礼拝時の服装で見分けがつきますので、日曜日に初めて教会へ行っても一目瞭然です。しかし、祭服を着ない教会の場合は、礼拝に出席しても説教を聞かなければ誰が牧師かわかりません。まして、平日に道端で会っても気づくことはまずないでしょう(襟元にカラーを着用している場合は例外)。神父も平服は意外にラフで、Tシャツにジーパンという場合もあります。見た目についても、凝り固まったイメージは捨てたほうが無難です。
3 日曜以外はゴロゴロしていると思われている
教会内外での仕事はなかなか見えにくいものです。特に日曜日以外に働いている姿は、クリスチャンでさえあまり目にする機会がありません。毎週、異なる聖書の箇所をもとに異なる説教を準備するのには、相応の時間が必要なのです。
4 人の悩みを聞くのは得意だが、自分の悩みは容易に言えない
教会には悩みや困難を抱えた多くの人々が、昼夜を問わず訪れます。電話も来ます。「面会時間」を設定して、その時間だけに限定して受け付けている教会もありますが、必ずしも相手が待ってくれるとは限りません。なかには教会の役員にも、家族にも言えないような深刻な相談事もあるでしょう。
5 理不尽な要求は日常茶飯事
「牧師は『愛に生きる人』だから、何を言っても大丈夫」「慈愛に満ちているはずだから、すべて受け入れてくれて当然」というのは、大いなる勘違いです。「それでも牧師(クリスチャン)か!」などと暴言を吐かれることもあると思いますが、牧師(クリスチャン)だって人間です。教員や公務員と同じように、度を超えた「クレーマー」からは守られなければなりません。また、逆に善意からの過剰な厚意や迷惑な贈り物といった事例にも事欠きません。
6 土曜夜の焦燥感。日曜夜の解放感
特にプロテスタントの牧師は、説教の準備に時間と労力を費やします。週末の金曜までに準備を終えていれば安心でしょうが、土曜の夜になってもまだ内容が固まらないという状況で、焦る牧師も多いことでしょう。毎週、締め切りに追われた作家のような状態です。土曜日はあまり近寄らないよう配慮しているという、牧師家庭の子どもの声も聞いたことがあります。
7 気づくと鼻歌が賛美歌
いわゆる職業病です。神父の場合、礼拝でも式文に節をつけて「歌う」ことがありますので、比較的音楽そのものには慣れ親しんでいる印象があります。牧師も教会によっては大きな声で賛美歌をリードすることが求められますので、なかには歌が得意でない方もおられるのではないかと、つい余計な心配をしてしまいます。
8 職業欄に、つい「自営業」と書いてしまう
公式文書でどのように書くかは、各自それぞれ決めていることと思いますが、選択肢に「その他」の分類がない場合は、信者に奉仕するという意味で「サービス業」か、あるいは自前の教会を運営しているという意味で「自営業」か、いずれかでしょうか。「牧師」「神父」と書くのもはばかれますし、「宗教家」というのも何か違うような気がします。
9 信者にカミングアウトしていない趣味が一つ以上ある
聖書の勉強以外に趣味がないという牧師、神父もいるかもしれませんが、「休みはこれに費やす」という、キリスト教とは無関係の意外な趣味を持っている人も多いはずです。ちなみに「現代牧師白書」アンケートでは、散歩、スポーツジム、ドライブなどのほかに、楽器演奏、茶道、料理、能楽、登山、模型、カメラなどの回答がありました。
10 クリスマスは毎年クルシミマス
毎年同じ時期に、必ず決まった聖書の物語(イエス・キリストの誕生)から、異なる説教(メッセージ)を複数回語らなければならない、しかも聴衆の半数以上は同じメンバーというのは、何とも過酷な荒行だと思えてしまうのですが……。ご心労をお察し申し上げます。
(ポプラ社『キリスト教のリアル』より抜粋)