だが、情熱はある。
*西南学院大学チャペルアワーで「労働・仕事・活動…『働く』ということ」をテーマに講話します。以下、それに向けた「巻頭言」より。
「令和」を迎えてなお、マイノリティにとってはなかなかに生きにくい“ヘルジャパン”。権威ある者の顔色をうかがい、見えない「空気」の読み合いが求められ、独自の不文律が跋扈(ばっこ)するムラ社会。幼いころから理不尽な校則に縛られ、意味も分からず公式を暗記し、「○○を制する者は受験を制す」的な煽(あお)り文句に脅され、たった一つの物差しで比較され、評価され、序列化され、どうにか志望校に合格して華のキャンパスライフを謳歌したのも束の間、今度は、やれインターンだ職場体験だOB訪問だと急かされ、この先いつ着るかもわからないスーツと心にもない志望動機を羅列したエントリーシートを武器に就活戦線に挑み、ようやく決まった就職先が思いのほかブラックで、理想と現実のギャップと各種ハラスメントのオンパレードに耐え切れず3年で辞める。輝かしい成功も、希望あふれる未来もどこか遠い話。
「宗教2世」として生を受け、片田舎の隠れキリシタンとして身を潜めつつ、オタク趣味の陰キャとして夢ばかり見ていた少年が、何の因果か人前に立って話をするようになるまでのストーリー。なりたかった漫画家にもなれず、天職だと思い込んでいた小学校教員も長続きしなかった転職経験者の実話。断っておくがこの話は救世主(メシア)の物語ではないし、サクセスストーリーでもない。そして、ほとんどの人においてまったく参考にはならない。だが、情熱だけはある。