#038 1人称は本当に書きやすいのか?
拝啓 2024年も残り1ヶ月となりました😊
わたしの場合、
3人称の方が書きやすく、書き慣れています。
一方、1人称は、個人的にとても苦手です。
ハッキリ言って「超ムズい!」と思っています。
<わたしが3人称を選ぶ理由>
①子どもの頃に読んだ小説の多くが3人称だったから
②初めて書いた小説が3人称だったから
③1人称は「超ムズい!」から
①②は、小学生のときからの習性です。
③は、これまでの執筆を通じて感じたことです。
…… という訳で、
③について詳しく書きます。
わたしの場合、1人称で書き始めると、
情景描写・人物描写・心象描写 の文字量にとても悩みます。
何をどこまで詳細に書けばいいのか?
どれだけ・どこまで深く掘り下げて書けばいいのか?
要するに、
ついつい増えていく文字量問題です。
1人称では、主人公(わたし・ボクなど)が、
情景・人物・心象について[地の文]で語ります。
主人公(わたし・ボクなど)が語り過ぎると、
必然として[地の文]の文字量が増えます。
わたしは、
詳細に描写すればするほど「クドいなぁ」と思ってしまいます。
深く掘り下げて書けば書くほど「ウソくさいなぁ」と思ってしまいます。
書いた文章を読み返してみて、
「読者にうんざりされるんじゃないか?」
「読者に共感されないんじゃないか?」
…… そんな不安を抱きます。
で、
「クドいなぁ」「ウソくさいなぁ」と思ってしまうと、
■削る ⇒ 結局、削りすぎてしまう
■もっと掘り下げる ⇒ ウソからファンタジーに発展
つまり[さじ加減]に苦しみもがきます。
そもそも、わたしの書く小説は、
純文学 ではなく、エンタメ小説(大衆文学)です。
なので、特に[地の文]については、
その文字量にとても注意を払っています。
中学1年生でも読める内容と文字量、
つまり必要最小限に抑えた適量になるよう気をつけています。
それなのに、1人称で書くと、
■[地の文]の文字量が増える
■削れば削るほど物足りなさを感じる
■ウソくさい ⇒ ウソそのもの ⇒ 妄想に発展
…… ダメだ、こりゃ。とほほです。
以上が、
わたしにとって「1人称は超ムズい!」の理由です。
なのでわたしは、基本的に3人称で小説を書きます。
しかし、この[note]に載せているコレや、
コレ、
1人称です。笑
コレには、事情があります。
ぜったい「1人称じゃなきゃいけない」事情です。
■こころの声 ⇒ 叙述トリックのため
■赤いバトン ⇒ 話者から話者へのバトンリレーのため
てか、
「超ムズい!」と言いながらも、1人称で書くことができています。
実はもう、ずいぶん前に克服しています。
いまは、1人称も、3人称も、どちらも大丈夫です。
では、
どうして「超ムズい!」と感じていた1人称が書けるようになったのか?
コレです。
1人称で書くときは、ナレーションを意識する。
たったコレだけです。
ドキュメンタリー番組などのナレーション。
NHKの大河ドラマや朝ドラのナレーション。
小難しいことも、回りくどいことも言いません。
そもそも、ぐだぐだ・たらたら言わず、
必要最小限の文字量に抑えられています。
ナレーションは、第三者の声(天の声)です。
主人公(わたし・ボクなど)の声ではありません。
なので、正確に言えば、
1人称の主人公(わたし・ボクなど)の声 = モノローグ(独り言)
と表現すべきです。もちろんわたしも分かっています。
ですが、あえて、
1人称で書くときは、ナレーションを意識する。
と言わせてください。
モノローグ(独り言)だと、
やっぱり、ぐだぐだ・たらたら語り始めます。
ナレーションを意識する方が、
ちょうどいい具合の文字量になります。
もちろん、わたしに限った場合ですが、
1人称の方が書きやすいと思われている方、
すでに1人称の小説を執筆されている方、
試しに、ナレーションを意識して書いてみてください。
「おやおや? ちょっと読みやすくなったかも」
(この実感を期待できると思います)
ちなみに、わたし、
3人称の小説を書くときも、
[地の文]については、
ナレーションを意識して執筆しています。
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