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猫は抱いた瞬間から運命になる

愛猫が17歳の誕生日を迎えた。同時に私も37歳になった。
なんとなく今年はいつもよりも特別な誕生日という感じがする。17歳というと人間の赤ん坊なら高校生になっているわけで、早ければあと1年、2年で進学で遠くに巣立ってしまう年齢。それだけの月日を共に過ごしたということを実感して感慨深いのかもしれない。

もともとの出会いは決して褒められたことでもなく、ペットショップでの「衝動飼い」だった。当時私は20歳の大学生で、親と喧嘩をして家を出ることになり、学校の近くにマンションを借りた直後だった。家を出るといっても「これで出ていけ」と100万円を渡されてのものであり、今思えばけっこう甘ったれた家出だったと思う。

高校生の時にラグドールという猫種を知り、キャッテリーのホームページをよく見ていた。大型で、ぬいぐるみのようにおとなしく、抱っこが大好きという紹介があり、こんな猫と暮らせたら幸せだろうなと思った。いつか飼うなら絶対にラグドールと決めていた。5月、何気なく友人たちとペットショップにいったとき、ガラスケースの中にその仔猫をみつけて「この子だ!」と思った。ラグドールの女の子で、ブルーポイントバイカラーという私の理想のカラーをしていた。

その仔猫は同じガラスケースに入った姉か妹と思われる仔猫を踏むようにして自由にふるまっていた。店員さんに、「こちらの子のほうが、気性がおとなしいかと」ともう一匹の仔猫を勧められたが、その時点で既に抱いていた仔猫のほうに愛着のようなものを感じた。この子が私の猫だと思った。

友人たちが驚く中、すぐにその仔猫を飼うことを決め、契約書を書いているとき、そういえばこの子の誕生日はいつだろうと気になった。「4月1日ですよ」と言われて飛び上がりそうになった。私と同じ誕生日だ。時期はちょうど5月で、当時は生まれて1か月ほどでペットショップに仔猫が並ぶ時代だったので、タイミングが合ったのだろう。でも、猫の誕生日なんてことにこだわりは無かったのに、まさかの同じ誕生日だなんて…運命を感じた。

仔猫には「マカロン」という名をつけた。20歳のときの私が可愛いくて美味しいと思っていたお菓子の名前。それから数年たち、自分は全く甘党ではなく、別にマカロンというお菓子が特別美味しいものでもないと気づくのだけれど、その当時はラデュレのマカロンに何か憧れのようなものを抱いていた。若かったし、幼かった。

猫との生活は、正直思い描いていたものとは少し違っていた。マカロンは抱っこが嫌いだったし、きょうだい猫と喧嘩した経験があまりないのか、噛み癖がなおらなかった。痛いということを教えなければと、指を噛まれた瞬間にマカロンの耳を噛み返した。今でも興奮した時に嚙みついてくることはあるけれど、だいぶ加減しているような気がするし、「痛い!」と叫ぶと申し訳なさそうにしてくれる。

小さなころのマカロン。パソコンのデータ破損で写真がほとんど残っていない。

大学とアルバイトで疲れて帰ってきて、足を放り出してベッドで寝ていると、飛びついてきて足先を噛まれる。イライラした。「寝かせてよ!」と叫んだこともあった。でも、気が付くと隣に寄り添うように座っていたりして、そんな時は一人暮らしの寂しさが紛れて、その温かさにホッとした。

かわいい、というより、必死だった。大学に行くこと、アルバイトで生活の糧を稼ぐこと、就職活動をすること…。だからマカロンが一番小さくてかわいかったはずの当時の記憶はあまりない。あまりに毎日が慌ただしかった。

22歳で就職して、暫くは仕事と研修、資格試験の取得に追われた。狭いワンルームで、居場所はベッドの上しかなかったから、マカロンもいつもベッドの上にいた。資格試験のテキストを広げると、必ずその上に座ってくる。一緒に勉強しているつもりなのか、かまってほしいのか…。朝は早く出て、帰ってくるとすぐに勉強。そんな中で、いつも隣にいてくれるマカロンの存在がありがたかった。2か月くらい経って、もうどうしようもなく会社を辞めたい!と思ったときもあったけれど、「お金が無くなったらマカロンを食べさせていけなくなる」と思うと、なんとか踏みとどまれた。

その後、猫連れで結婚、猫と共に離婚など色々あって今の二人暮らしに至る。マカロンが13歳を迎えたころから、彼女の死への恐怖が日に日に強くなっていった。いつの間にか、ペットショップに並ぶキャットフードで、「シニア猫」のカテゴリにマカロンが入るのか…と思うとなんともいえない不安に駆られた。今これを書いていても涙が出てくる。そんなとき、友人が「マカロンちゃんはまだ13歳、ピチピチの中学生だね!」と慰めてくれて、人間年齢に換算すれば中学生!と元気づけられたような気がした。

この頃になると私の仕事も安定し、かつてのワンルームと比べると広い部屋に住めるようになった。リビングのほかに寝室も持てるようになった。愛情とは別に関係なく、家の一部分には猫の毛が入らない場所が必要だと思っていたので、寝室は私だけの空間である。でも、寝室にいるとどこか落ち着かないので殆どの時間をリビングで過ごす。マカロンにしても、どこにいてもいいはずなのに、大抵は私の隣におとなしく座っている。

ラグドールにしてはかなり小柄で、気性も優しいわけではなく、当初に思い描いていた猫とは少し違っていた。でも、15歳をこえた頃から特に、本当にマカロンを選んで、あるいはマカロンに選ばれてよかったな、と毎日のように思う。トイレに行くにも毎回ついてくるし、お風呂に入っていればガラス戸の向こうでバスマットに座って待ってくれている姿がうすぼんやりとみえる。特に深夜に目覚めてトイレに行くとき、寝ていたはずなのにのろのろ起きて私の様子を見に来てくれるときなど、自分も眠たいだろうに、こんなに優しい猫がいるだろうか?と思う。

そんなとき必ず、可愛がってくれた祖母のことを思い出す。小さいころ、夜に祖母の家のトイレに一人で行くのが私は怖かった。眠っている祖母を起こすと、いつも文句ひとつ言わず一緒にきてくれた。小学生になっても夜は手を繋いで眠ってくれた。「くっつき虫~」といって、抱き着いて眠ることもあった。どれも親に対してはできないことだった。優しい祖母のことが大好きだったのに、私が大学生になったころには私のことがわからなくなってしまって(これが祖母との1度目のお別れだったと思っている)22歳のときに亡くなってしまった。喪失感は正直今でも消えないし、これからもそうだろう。ホームに入っていたのでマカロンとの対面はかなわなかったけれど、もし元気だったらどんなに可愛がってくれていただろう、と思う。

時々、私はマカロンを愛しているけれど、それ以上にマカロンに愛されているような気がするときがある。その無償の愛情は祖母が与えてくれたものに少し似ている。ここ最近は毎日はっきり声に出して「大好きだよ」と伝えている。気のせいか、年齢を重ねるほどに人間の言葉を少しずつ理解しているようにみえる。抱っこは相変わらず嫌いだけれど、1分くらいはなんとか我慢してくれるようになった。外出してお留守番をさせたときはおやつをあげることにしているけれど、ごみ捨てもお留守番とカウントしているようで、ニャア!と強めに鳴かれる。貫禄が出てきたなぁと思う。そんなところもとてもかわいい。

最近、通りがかったペットショップでぼんやり仔猫を見ていると、優しい店員さんが気を利かせて仔猫を抱かせてくれたことがあった。少し湿り気のある温かさ、少しの重たさ、私のパーカーの紐にじゃれる仕草の全てが可愛く懐かしかった。
連れて帰りたくてたまらなかったけれど我慢して帰ったことを猫飼い歴の大先輩である友人に話したら、「ちいまかちゃん、ダメだよ。猫は、どんな猫でも、ふと抱っこした瞬間に、運命を感じてしまうものだからね」と笑われた。そのとき、ふとマカロンとの出会いのことを思い出し、初めて抱いたあのとき「この子は、絶対に私の子」という強い気持ちが生まれた理由が分かった気がした。たぶんどこのお家の猫も同じで、なるべくして導かれていったのだろう。

これを書いている今も、マカロンはそっと私の横に寄り添っている。
愛し、愛される幸せな時間ができるだけ長く続くようにねがってやまない。

17歳の誕生日、おめでとう!

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