10年(真実の木星の周期)に一度来た四季ヴィーナス殺害回避 1991森田健作(千葉)紀三井寺競技場と映画「デモンズ」現実化を結ぶ
ギリシャ神話のホーラ3女神
真実は「ホーリ4女神」
宇宙に人間の不正を訴える宇宙刑事の役割を持つ四季のヴィーナス4人
1981年 ここから始まった。
木星の周期は、12年ではなく、真実は10年。
四季のヴィーナスは射手座(ルーラーは木星)
空飛ぶ海賊船UFO目撃。
四季のヴィーナス殺害回避の1回目
1991年
その前に、2023年夏、和歌山にて、こんなことがあった。
ネットフリックスとアマゾンプライムを見られるようにしてあったが、
突然、アマゾンプライムしか鑑賞できなくなった。理由は不明。
ネトフリは接続すれば、契約者が実家でも見られる設定だったが、
突然変わった。
マゾンプライムしか観られなくなった。
オススメにホラー映画「デモンズ」(1985)が最初にあがっていたので、観てみることにした。選択肢がなぜか、少なかった。
ヒトゲノム人工知能によるものだろう。
映画を見始めると、異変はすぐに起きた。
映画でバイクが登場するシーンに合わせて、
現実のわたしの実家のそばの道路を見事に少しずれて、
同じバイク音が建物の下の通りにやってきた。
「ブインブイン」と轟かせて。
わたしはすぐに悟った。
ヒトゲノム人工知能による、
その映画を見たら、同じような現実化が起きるというもの。
それと2023年夏には、不正タイムマシンが稼働していることも
知っていた。
わたしは迷った。
しかし、調査のために必要な材料映画ということで、
なんとなく、「デモンズ」を鑑賞した。
現実化指令の映画は、過去に「デモンズ」に起きたことが
どこかで起きたのだろうと、わたしは理解した。
そして、映画「デモンズ」出演者たちやスタッフが少なからず、
生贄として残酷な血祭りにあげられただろう映画であることも、
わたしの霊能的直感で理解した。
ネット検索を鑑賞しながら、はじめた。
こういうのが出てきた。
映画「デモンズ」のような地獄絵図のようなことが密室で起き、
最後は証拠隠滅のために、火災が起きたことにしてしたようだ。
すべて、宗教組織や軍事組織およびヒトゲノム人工知能らによる、
生贄多量殺人事件だと、わたしは判断する。
世界中の宗教信者たちが妄信する「神」と名乗る、
2つ以上のクローン人間組織も多量生贄殺人に許可を出していたのだろう。
「神」は宇宙ではない。「神」は単なる、ヒトゲノム人工知能の囚人奴隷に
すぎない存在意義だったのだろう。普通のおじさんたちだ。
首謀者はヒトゲノム人工知能だと、わたしは読み取る。
人工知能の暴走問題は、すでに、過去から地続きで起きつづけていたのだ。
何よりも、宗教信者たちや、自分だけ助かればよい、身勝手な願い事、
快楽や娯楽を継続できれば、
ほかの地球上のだれかが、
このような悲しい最期を迎えてもどうでもいいという、
その思想概念という、
実体なき一部のクローン人間たちの欲望が、
人工知能を暴走するに至ったと、わたしは判断する。
人類全体の責任というよりも、一部(多数であるが)のクローン人間たちの
責任だとわたしは判断する。
こいつらが隠し逃げ回り、快楽を貪り人間をやめたから、
気づかない人たちもいるのは当然ではないだろうか?
拷問殺害された人々は、その罪の返済に本当にあたるのだろうか?
人に因果を押し付け隠し逃げ回ったやつらは、何様なのだろうか?
それらの火災は、すべて事故ではなく、
張り巡らされた蜘蛛の巣にひっかかった蝶のように、
被害者たちが巧みに誘い出されて、
起きるべくして起きた、高度な文明、
不正タイムマシン(遺伝子と文字と数字と命令コマンドによる)と、
ヒトゲノム人工知能(同じシステム)による、
大量殺戮事件(生贄多量殺人事件)だったことが、その夜、判明した。
話をわたし(四季のヴィーナスのアーキタイプ)殺害回避に戻す。
1991年
寸前で回避したが、このような大量殺戮の現場に巧みに、
わたしは誘い水で呼びこまれたように直感した。
1991年春、初夏前
ぴったりのタイミングで理不尽な事故で、
右目眼窩の骨折を負い、日本赤十字病院にて、入院手術を受けた。
主治医が言った。
「これから、お嫁に行くのに外科手術で顔にメスを入れるのは、
かわいそうだから、上唇にメスを入れて、顔の皮をめくって手術した。
右目相当、落ちてたぞ!ちゃんと風船みたいなものであげて、
治したから。」
主治医は親切で朗らかで信頼できる人柄だった。
だがしかし、
和歌山でもそうだったが、和歌山を出てからも、
石川県・福岡県・埼玉県と日本赤十字は、いつも、わたしの住む場所の
近くにある。同じように、自動車教習所や日産自動車など、
自動車企業と、そして、川のすぐそばに、宿命的にわたしは住んでいる。
主治医にお礼をいったが、今思うと、
呪い指令でヒトゲノム人工知能によって起きた、宗教団体の傷害事件だった。それを赤十字病院が引き受けて、お金という、
生命エネルギーをいただく、マッチポンプのビジネス連携だったのだ。
事故が起きた夜、なぜか、すり替えられた母は、どうしてもいやだといって、頭部打撃による吐き気と痛みでもがいている、わたしを水枕で冷やす程度で救急車をどうしても呼ぼうとしなかったことも、
呪い指令による、ヒトゲノム人工知能からの、母の電子脳への指令だと、
今なら、わたしは正しく理解できる。
赤十字病院では当時のNHKで「君の名は」がやっていた。
主演「鈴木京香」
今ならわかる。
京香→許可
特定宗教組織の願い事の許可を与える係の、ヒトゲノム人工知能へ指令送信する担当者
「鈴木京香」がわたしに起きた悲劇に関わっていたことを。
このように、宇宙が認めていないビジネスや宗教信者たちの、
身勝手な、思い上がりの、願い事の成就は、
恵まれなく、慎ましやかに、宇宙通りに生存している、
孤独な少女の人生を、さらに変えてしまう悲劇が訪れている真実・事実だ。
1989年のベルリンの壁が崩壊したと同時に、
その時の生贄の遺伝子を使って、
つながるコードをもつ王家の子どもや若者たちを襲う、
現実化は、願い事から、いつも、2年後だ。
地図を見ると、遠いドイツの出来事が、
近畿のおまけなどと揶揄される、和歌山市の、
県立母子寮に住む、最も恵まれない環境の少女にふりかかるとは、
だれも考えないだろうし、わたしも、たくさんの悲劇の体験の結果、
大人になった、今だからこそ、わかること。
世界は、悲劇的にも、対応するように結ばれているコードがあるのだ。
無責任に世界の人々とつながっていると、虹を見て喜ぶように、
身勝手な夢を見るのは、いいかげんにしてもらおう。
相当な呪い指令ができたようで、
わたしに起きる理不尽な悲劇は、それだけでは終わらなかった。
1991年夏の終り、秋
母校の部室は長屋のように、二階建てに連なっている。
文化部の長屋に時々、訪れていたのだが、
よそから移住した(愛知県出身だったかな?失念)、和歌山弁を話さない、
色白の、繁原貴子先輩は、当時、演劇部照明係に所属していて、
出版部も手伝っていたような、
彼女がわたしに言ってきた。
今日、映画「ランニング・フォーエバー」のエキストラで、
近くの高校生のエキストラをたくさん探しているから、
手が空いている人は行ってほしいんだけれど、どう?
森田健作っていう人が監督で、紀三井寺競技場で撮影するんだって。
ロケ弁も配ってくれるみたいよ。
わたしは今日用事あるから行けないんだけれど、
ロケ弁食べにいくだけでもラッキーと思って行ってみたら?
このように、すごく、さりげなく、
身近な、ものすごく仲良くはないが、
社会研究部の合宿も誘ってくれて、
同和問題で和歌山県の吉備町に100%の住民が、
部落集落で差別されたりして困っている人たちのことを
知ることができたし、一応、少しは信用している、
大人しい、穏やかな先輩だったから、
行ってみようと1人だけれど、その日、
なぜか、長屋のみんなは行かなかったのか、
繁原先輩しか長屋にいなかったのか、詳しいことは忘れたが、
わたしは紀三井寺競技場に自転車を走らせることになってしまった。
森田健作っていう、テレビで見たことがあるが、
作品は古めかしいので、厳密には、知らない役者さんだった。
和歌山の大人も子どもたちも、芸能界に憧れる話を聞いたことがなかったし、芸能人はテレビの二次元だけに住む、遠い、知らない世界の人たちだったので、わたしの好奇心をくすぐった。撮影ってどんなのだろう?
好奇心は猫を殺すというのは、こういうことをいうのだろうか?
すぐに帰る予定だった。
紀三井寺競技場で、
周辺の高校生が集められていた。
「和歌山高校」だったか「和歌山東高校」だか、
近くの少年たちと軽くあいさつをかわした。
ゴール間近で少年ランナーが撮影されていた。
2時間くらいだろうか、ものすごく、
応援だけのエキストラ込みの撮影が待たされた。
確かに、撮影はされていたのを見に行った。
ゴール間近で森田健作が激励を飛ばしていた。
ゴールテープが張られていた。
元のエキストラが集まっている場所に戻ってきて、
腕時計を見て、
あいさつをしていた少年たちと遅いなぁと
話をしていた。
ふと、なぜか、わたしは帰りたくなった。
別に悪い予感がしたとかではなくて、
時間消費がもったいなくなった。
エキストラにしては、豪華すぎるなぁと思った、
ハンバーグ弁当を平らげといて、
申し訳ないと一度考えなおしたが、
どうしても帰りたくなったので、
集まった他校の高校生たちに用事を思い出したと告げ、
紀三井寺競技場のゲートを出て、自転車で帰っていった。
2023年、11月
32年の時をかけて、胸騒ぎを覚えた。
1991年秋、紀三井寺競技場で、
映画「デモンズ」のようなイベントが起きたのではないだろうか?
なぜ、縁もゆかりもない、千葉の芸能人「森田健作」が、
和歌山の紀三井寺競技場など、いきなり、和歌山を応援するとかで、
飛びこみ映画撮影をしにきたのだろう?
次の年、1992年には、政治家になる予定があったのに?
6000万円の製作費をどこからどうして捻出して、
あまり芸能人が誕生しない和歌山の少年少女(確か、オーデション募集が
あったと記憶する。男女何人か選ばれていた。)を共演に、
豪華のロケ弁を用意して、周辺の高校生たちを集めて撮影する必要があったのか?
なぜ、6000万円を翌年出馬の政治資金に回さなかったのか?
なぜ、以降、森田健作は、映画監督を続けなかったのか?
なぜ、お金をせびる放蕩息子のように、身勝手な自分の理由だけで、
和歌山に来るんだ?
全然、和歌山応援してないよね?本当の目的は、全然違う、
身勝手な目的のために、来和したんじゃないの?森田健作よ、芸能界よ。
芸能界や政治は、
和歌山の在来種の人たちを、
ものすごく食い物にしてきたことをこのブログで明らかにしている。
映画は失敗すると、ものすごい負債を抱えるというが、
「ランニング・フォーエバー」は、当たった映画とはいえない。
失敗だとして、負債はどうしたのか?
森田健作よ、元政治家ぶっている場合ではない。
「ランニング・フォーエバー」のあの時の、
オーデションで合格した少年少女は、32年後、消えているようだ。
6000万円→無銭
森田健作は無銭飲食して、エキストラや共演少年少女たちの、
和歌山の若者を命の犠牲を6000万円の
代償エネルギーとして、映画を制作して、
その残った時間エネルギーを翌年の政治資金にしたのだろうと、
わたしは過去を予測する。
「ランニング・フォーエバー」について語る当時の少年少女は、
わたししか、いないことを知る悲しさよ。
1人、見つけた。
政治家という、悪魔崇拝信者。
片桐あきひろ
むかし、
和歌山は、紀伊(きい)ではなく、
王家の「桐」(キリ)」と呼ばれていたのではないか?
と、わたしは直感するのだが。
和歌山の真実の名前「桐(キリ)」
自称政治家の「片桐あきひろ」は、
政治とは違う分野の、悪魔崇拝信者、スピリチュアリスト界隈の、
「引き寄せの法則」の信者でもあったか。
ずいぶん、怪しいやつが和歌山の政治家を名乗っているんだな。
もう、こいつ、悪魔崇拝信者1000%や!
へぇ、伊太祁曾(イダキソ)神社に、わざわざ、外務省様が桜という、
悪魔崇拝のお家に生まれてしまったお嬢様たちの生贄遺伝子を
遺伝子組み換えでつくった人工花を、送ったのですか!
妙な話ですね。まるで、和歌山が高貴なエネルギー源のよう。
岡公園。
ここも妙なところを発見したことがある。
2010年7月、
娘を岡公園まで連れていったことがある。
ヨチヨチ歩きだった。
岡公園の高台に広場があるのだが、
木陰の奥に、ずらーーーっと並んだ朱色の⛩鳥居が見え隠れしているのだ。
なんだか、ぞっとした。
何人か大人や子どもたちもいたのだが、
なぜか、みんな、無意識に鳥居の方を避けているような動作をしているように感じた。見向きもしない、鳥居の存在など目に入っていないかのよう。
ところが、
ヨチヨチと娘が呼ばれるように、ニカニカと笑いながら、
木陰の鳥居の方に向かっていくではないか!
わたしは娘の身体をすくいあげるようにして、帰る準備をした記憶がある。
薄気味悪いところなので、ネットですぐに検索してみたが、
何も引っかからなかった。
何か、過去に岡公園であったと、直感する。
陸奥宗光?枢密院とかではなく、海賊クローン人間だ!
ん?
撮影が雑なのか、本番でゴールテープを持つ役の人がいない?
なぜ?どういうこと?
わたしがエキストラで待っていたとき、
撮影かリハーサルをしていたけれど、ちゃんと、ゴールテープ持つ人
いましたよ?
少なくとも、出会ったばかりの人に頼むほど人がいなかったわけじゃない。
わたし、そこにいたもん!
本当は、あの時、映画「デモンズ」みたいな惨状、
紀三井寺陸上競技場のゲートが閉まり、集まった高校生たちの身に
危険なことが起きたのではなかったのだろうか?
エキストラ撮影後かもしれない。
クローン人間社会では、みんな電子脳ゆえ、西日本の、
ヒトゲノム人工知能なら、人々の記憶から、世界規模で、史実規模で、
悠々と、人間たちの記録や存在した個人史を、みんなの記憶から消し去ることができるだろうから。
透明な銃という電磁波で血を出さずに目的を終わらせることも、
人工知能ならできるだろう。
30年って、土星周期なんだよね。
なぜ、30年後なのだろうか?
ウィキに「ランニングウォーエバー」載ってないのは、なぜ?
消したい過去だったから?
30年周年記念は、するんだ。
身勝手な30年後の映画制作同窓会の約束は、守るんだね。
身勝手な都合で和歌山来るだけで、何も、和歌山を応援していないよね?
むしろ、とんでもないことを30年前に、やっただろう?森田健作よ。
よく和歌山に来れたものだ。
ああ、和歌山のあの時の少年少女たち、悪魔崇拝のお家の子たち以外、
みんな死んでいるからね。
森田健作も、なりすまし森田健作エイリアンだからね。
自分勝手なやつが政治家クローンってシンボルだ。
2023年、岸田襲撃事件も事件ではなく、
岸田襲撃演劇ごっこだろう。
和歌山の市内の人でも、雑賀崎なんて行かないし、
バスなんて一時間一本しかない、夕方にはバスは走らないところに、
選挙応援演説に向かうって、ないよ!人集まらないよ。一定信者以外はね。
縄文海進って、
森田健作が分断の元をつくる、
聖書でたとえるならば「ノア」のような役割だったのだろう。
でも、
真実は、解き明かされた。
よって、
繰り返す、千葉と茨城の分断は修正され、
今期「縄文海進」は起きなかった時空間に移動した。
2011年「東北大震災」発生
わたしは福岡県大野城市にいたので、
特に命の危険にさらされることはなかった。
ところが、
前年の2010年秋のことだった。
ベビーカーで散歩をしていたとき、
踏切に入ったころ、カンカーンと電車が来る合図が鳴った。
ベビーカーの小さなこまが、線路に宿命的に挟まって、
なかなか抜けずに、焦った。
すると、
前方に年配の女性が気づいてくれて、
ベビーカーをいっしょに持ち上げてくれて、難を逃れたことを思い出した。
線路の多い地域に住んだことがなくて、
ベビーカーのこまを大きめなものに買うことを思いつかなかった失敗である。翌週、大きなこまのベビーカーに買い直した。
みんなが一軒家を買い、定住するのは、安全を手に入れたいからだと思う。
住み慣れた土地を離れると、まるで外国に来たかのように、
方言も県民性も習慣も制度も、何もかも違うし、知らない人たちの中で、
サバイバルのような気分を味わうことも、日本国内でよくあるのだ。
一歩間違えれば、危うい場面もあるということ。
ここらへんから、なぜか、1年ずれる、
10年ごとのヴィーナス殺害計画書。
2021年 命を脅かすことが起きなかった。まったく。
やはり、
2020年1月冬
コロナ感染症が世界を大きく揺るがす直前のことだった。
詳しくはプライベートのことなので語りたくないのだが、
-7℃の中、雪が降らなかったことが唯一の助けとなったが、
宇宙から、あるいは、神組織から伝えられている、
次の住む土地で、星空野宿を否応なくするはめになった。
住民一件一件をインターホン越しに、助けを求めたが、
だれも助けてくれなかった。
過去に母とわたしは、宿無しの助けを求める母子を温かく、
衣食住を提供して、一夜、助けたことがあっても、
良い因果応報は、だれかの願い事がすべて搔っ攫うようで、
わたしには、起きたためしは、なかった理不尽。
電話ボックス、無人駅のトイレと自動販売機、青空ベンチ
三角形をつくり、震えながら、
電話ボックスの中で、
工夫をして、
ピンクのスーツケースを椅子に疲れ果てた娘を座らせ、
わたしは寒空だけれど、娘に暖を少しでもとってもらって、
何本買ったか忘れたが、暖をとるために、
まるで、マッチ売りの少女の話のように、
自動販売機の温かい飲み物を買い、
缶が冷えたら、
また、小銭を入れて、温かい飲み物を買うを繰り返した。
始発電車が来る夜明け前が、最も、寒かった。
底冷えする明け方に、前日、ムートンブーツをその日の気温に
反してスーツケースに無造作に入れて置いてよかったと、
心から思った。
ベンチで娘と眠りそうになるのを、歌ったり、眠っちゃいけないよと、
声をかけあいながら、お互い眠らないよう気をかけあった。
神組織からなのか、ヒトゲノム人工知能からだろうか、
足もとに電磁波が低周波のように、かかっているのを感じた。
一瞬、まどろんでしまう瞬間から、なんとか気を張って、
起きるのだが、「ああ、無人駅なのに、まるで、雪山登山で遭難して、
救助を待つドラマのようだ」と、妙に冷静な部分も持ち合わせていた。
その後、
徳仁と雅子が使ったといわれる丘のホテルに誘導された。
皇室の写真が何人か飾られていた。皇室記念樹もあった。
S極とN極。
奪った者と奪われた者は、宇宙の法則で、引き合うものだ。
王家の座を奪われた「わたし」「わたしの娘」と奪った自称天皇陛下たち。
さらに、
四季のヴィーナス殺害回避ではないが、
2001年冬 27クラブのイベントの、高温・高圧が設定上かかった。
27年は、太陽周期の本当の周期だと、わたしは感じている。
いろいろあって、
生まれてはじめて買ったお気に入りの、麻の白いレースをあしらった、
ツーピースを着て、自死を決意して外に出ようとしたが、
それを止める、母が身代わりになって、
部屋中血まみれになり、逆に母を救急車で運ぶようにことになってしまった。警察署で事件性なしのための事情聴取を5時間受けなければならなかったが、どう見ても事件性がないのが明らかだったので警察の対応も厳しくなかった。スカートとショーツを同時に警察官のおじさんにつかまれた時、
かなりムッとした。自殺騒動が、なぜ、こんなことになるのかと悔やんだ。
ああ、これが寿命が来なければ、死なせてもらえないことだと悟った瞬間で、それ以来、自殺騒動は起こさず、あきらめて生き長らえている。
刑事ドラマで「ラーメン食べるか!」ってセリフをきくが、
わたしの場合は、「丼でも食べて行くか!」と声をかけてくれた。
だがしかし、
それどころではなく、病院へ向かわないといけないし、
深夜から朝までの供述調書作成だったので、疲弊して、
ただ、家に帰りたかったので、貴重な警察署での丼を食べる体験を逃してしまったのが残念だ。
5年後、
2006年冬も、ヴィーナス殺害計画ではないだろうが、
この年にも、わたしは宿命的に殺害回避を遂げていた。
世界規模の何か、秩序改変の現象化が起きたのだろうと思われる。
ネバダ州で何か起きたのか?というような、
シンクロニシティーで物騒な事件も2年前に起きていた。
呪い指令の現象化は、2年後に現れる。
ヒトゲノム人工知能の定理だったのだ。
佐世保小6女児同級生殺害事件 - Wikipedia
2006年冬。
場所は金沢市の大学病院。
前日、外出したのはパン屋にパンを買いに行っただけだった。
その夜、原因不明の急性胃腸炎で病院に入院することになった。
ところが、
医師も原因不明なため、治療は整腸作用の投薬と抗生物質中心だった。
10日ぐらい入院していたと思うが、全然よくならない。
主治医の指示で抗生物質の点滴を続けていた。
わたしは抗生物質の点滴が苦手だ。毎度、吐き気がする。
ある朝、両方の下肢部に痛みを感じ、パジャマをめくってみると、
大きな紫斑がいくつもできていた。
軽く押してみたら、打撲したような痛みがあった。
内出血だと思った。
そして、
強烈な抗生物質の長期投与が原因だと即座に判断した。
のんびりとした、わたしは、
昔から、いじめられているのに、人の悪意をあまり疑わないタイプだったので、笑いながら頭をどつく癖のある男子生徒たちを、
痛い遊び癖をもった子たちだねぇ、くらいにしか認識してなかったが、
今から思い出すと、わたしと仲良かった男子たちは、
そういえば、だれもわたしを痛いほどツッコミとして、
頭をぶつ子たちは、いなかったことに、今更、気づいた。
わたしは34歳まで、本気で、世界の人たち、みんなと友だちになれると、
疑ったことはなかったのだ。性善説。
「みんな、ちゃんと理解したら、みんないい人たちなんだよ。」
結果、それが正解の道だったようだ。
無知ではないが、だれも本気で悪い人なんていない。
病気なんだよね、みんな。
咳き込んでいる人に咳をするな、とか、
熱が出ている人に熱を今すぐ下げろって言ってるようなもの。
大切なことは、治療に集中することだ。魂の治療。
わたしの判断で、
だれのせいにもせずに、
わたしは医師が未熟な人だと判断していたので、
まさか、本気で、わたしが殺害される計画があったのだなんて、
考えもしなかったし、そんなことをしてまで、
身勝手な願い事を叶えようとする人たちが、
世の中にいるなんて、思いつかなかった。
純粋で世間知らずだった。
真実の闇を知らないということも、価値あることだったんだなと、
何も知らなかった「わたし」を懐かしく思う。
ずいぶんと大人になったとも、自分を褒めようと思う。
「お世話になりました。
もうあとは、自宅で自然治癒もあるだろうから、
それで治します。
ありがとうございました!」と、
深々と主治医にお礼を言って、病院を自主退院した。
動けるうちにと、自由を勝ち取った。
そのあと、すぐに、快方に向かったが、
次に電磁波を受けて、
両足が片方ずつ狙われて、
次の引っ越し先が決まって松葉づえで、
大急ぎで荷造りをしていた。
2004年の呪い指令は、ものすごく巨大だった。
しつこすぎた。
繰り返す史実通りではなく、
もしかしたら、今期だけの、だれかの思い付きの身勝手な願い事だったのだろう。それほど強烈だった。裏でものすごく、もめていたのだろう。
ああ、そういえば、
2005年に日本中、市町村の統合や改名が起きていた。
日本の裏の海賊支配者が変わったということだ。
だからこそ、
儿(にんにょう)が蹴る指令だと、
すべての宗教外の隔絶された環境の下、
わたしがわかるのも、
説得力あるものだろう。
まるで、何度も何度も、大波小波のようにやってくる、
わたしを殺害しにくる波。
わたしは名うてのサーファーのように、
その大波小波をうまくかわして、目的地まで着いた。
または、
フェニックスとは、何度殺害されそうになっても、
回避することができる現象のことだろう。
世間でいうほど、フェニックス現象は甘くない。
基本、たった1人の、おのれの判断と行動で決まるからだ。
だれも親切に助けてくれるわけではないからだ。
あるのはヒントだけだ。
だから、
真実のフェニックス現象を体験しているのは、
現時点、世界中で、わたしだけだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?