映画「ヒコバエの詩」を作った? マカピーの日々 ♯1582
マカピーです。
学校時代に「ヒコバエの詩」というのを作る手伝いをした覚えがあるのでした。
昨日の投稿でフィリピンでヒコバエを見たので「ヒコバエの詩」という題にしました。
よくよく思い出してみると学生時代に同じような題名のの8㎜フィルム映画を作るのを手伝った事があるのでした。
マカピーは一年生の頃農学を学ぶグループ「農ゼミ」に所属していたのですが、住み込みの新聞配達(朝日奨学生)をやっていたのでそうした活動にも制限がありました。
コンパに顔を出しても、明け方近くになると「朝刊配達」に戻る生活でした。
さすがに2年生になると新聞配達を辞めて普通の学生に戻りましたけど。
山下惣一さんという農民作家の作品がNHKのドラマとなったので、農学生としてはこの作品に触発されて自作映画を作ることにしたのだったのかも知れません。
マカピーはアフレコ(映像に合わせて効果音や会話を入れる)作業を手伝った覚えがある程度で、果たして完成した作品を観たのか記憶にありませんでしたが、その題名だけは同じようだったと記憶しています。
地方出身の学生は、東京の学校に来てもいずれ地元に帰って農家を引き継ぐパターンが多かったのです。
だから自作映画では卒業年次になる農学生の苦悩を描いた作品だったと思います。
主演をしていたのは3年生だったフチさんで、後に彼は同級生の彼女を長崎の実家に連れて帰り結婚してイチゴ栽培をしていました。
マカピーの同級生を見ていても、こういう成功例は実は少ないと思います。
当時は、東京と言っても農業の学校なのでそもそも同級生に女子学生が少ないのです。
つまり学内での出会いの機会が極めて少ない!?
例外的に短期大学の栄養科には例外的に沢山の女子がいましたが、他はすっぴん姿でジーンズのオーバオールや研究室の白衣をまとい白い長靴姿の女学生も多かったのです。
研究室のコンパ(酒飲み会)などではその数少ない女子に向かって、先輩が「明日はコンパだからスカートを履いてくるように!」なんてわざわざ女子に注意していたんですから。
今だったら完全にセクハラですよね(笑)
それでも、海外移住するのを夢見ていて逆に夫となる学生をゲットしていた例もありますけど。
マカピーも地方(群馬)出身でしたが5時間くらいで実家に戻れる環境でしたから大したことはありません。
どうしても九州、四国、北海道と言った遠方から来ている「跡取り息子」の問題はとても深刻だったのです。
もちろん「結婚」が全てではないですが「跡取り」というのは農業を次ながら次世代を育てて行く重い使命が惣領に負わされていた時代でした。
今はどうなったのかしら?
聞くところによると農家出身の学生が殆どいない学校になったと聞いたことがあります。
こりゃ日本農業が絶滅種になろうとしているって事なのかなあ?
「ヒコバエの詩」から当時と今の農業を取り巻く環境の変化をいろいろ思ったのでした。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。農大健児の意気を見せよう!