それって、いけないんだよ!?マカピーな日々#0594
マカピーです。
カンボジア滞在のころの事です。
トンレサップ湖北西からほど近いシェムリアップ近辺に広がるアンコール遺跡は、各年代毎に遺跡群が分れ9世紀から14世紀の壮大なクメール帝国の繁栄と規模とその石造遺跡群の質量に圧倒されます。
石造遺跡だけが残ったわけですが、繫栄していた当時は木造建築も多数存在していたはずですからそれを考えるととんでもない帝国であったのが分かります。
現在は、効率よく回るのに各種の交通機関を利用しても、キチンとその全体像をつかもうとしたら、今でも1週間あっても足りないでしょう。
日本からもぜひ機会があったら訪問していただきたいと思う理由の一つには半世紀にも及ぶ石澤先生の研究・保存活動の存在があります。
マカピーの2度目のプノンペン勤務をした2017年には、石澤先生はちょうどマグサイサイ賞を受賞され、幸運なことにその記念講演に出席できました。
石澤先生は上智大学の学生時代からアンコール遺跡にかかわるのですが、ご承知の通りカンボジアはその後政変が起こり、ポルポト率いるクメールルージュの支配(民主カンボジア時代)がありました。
石澤先生はアンコール遺跡修復の人材育成にもかかわります。ポルポト時代の虐殺を生き延びた人たちと、再び遺跡修復と研究にかかわりつづけその地道な活動では多くの発見もされています。
石澤先生の授賞記念講は、は、衛星画像処理から当時の水田耕作技術を検証したり、遺跡造成にかかわった巨大な砂岩の運搬方法や造営方法技術の再現活動など、今だその衰えぬ研究熱とアンコールへの愛情を感じさせられるものでした。
マカピーはカンボジアには合計6年ほど滞在したのですが、2000年当時はまだ周辺には未処理の地雷原が広がり、不気味なドクロマークの標識があちこちにありました。一方世界遺産登録前だったので、未整備な分、各地の遺跡群内も自由に見て回ることができました。
マカピーは仕事でプノンペンにいるばかりでしたから、3回程度アンコール遺跡を訪問しただけでした。ところが、日本からやってくるお客さんや友人を引き連れて遺跡巡りをしたマカピー妻は合計17回出かけています。
マカピー妻:「わたしが行くと顔なじみになった物乞いの子供たちが『このオバハンはケチでお金くれないんだぜ』なんて言ってるのよ!それから同じ遺跡の説明でも英語のガイドの説明、日本語ガイドの説明が違うから私のお客さんには両方のいい話を伝えるようにしたの!」
マカピー妻はタイ語に加えて、クメール語も勉強していたのでした。途中で語学学習をギブアップしたマカピーとは全く言語能力が違います!
ところで、アンコール遺跡群からは、貴重な石像などが首都プノンペンの国立博物館に収められていて、それらが世界中の博物館での特別展などに「出張」に行きます。
有名なジャヤバルマン7世の石像をはじめデーバ像なども、日本で「クメール展」が開催されマカピー弟はそれを見に行ったそうです。
マカピー弟:「ほら、一度両親と一緒にアンコール遺跡へ行ったから、懐かしくなって見に行ったんだけど、ロープがあり近づけなく残念だったんだ」
マカピー:「え?カンボジアの博物館では石像をみんな触ってたよ。とくに女性像の乳房は女性の観覧者が触っているんだ。触りながら自分の母乳が沢山出るように祈っているっていうんだ」
マカピー弟:「それで、石像の一部がテカテカと照っていた理由が分かった!」
マカピー:「実はさ、マカピーは大英博物館に行ったときにロゼッタストーンに触ったことがあるんだよ!」
マカピー弟:「え、そんな事しちゃえるの?」
マカピー:「うん、最初行ったとき時は近くに係もいなかったのでシレーっと撫でちゃった。あの時の感激は忘れられないなあ!もっとも冷たい石碑だったけど。それが二回目に行った時にはしっかりアクリルケースに守られていて触れなかった。それは〇国人の観光客が激増してアッシリアの浮彫彫刻や石像にまたがって写真を撮ったりする人が続出して管内の警備が厳しくなったせいなんだ。マカピーも警備員に石像から降りるように注意されている観光客を何人も見かけたよ」
17年ぶりに戻った二度目のカンボジア滞在中に行ったアンコール遺跡群の印象はかなり違っていました。
そもそもシェムリアップの街が都会化していたし、観覧するコースまでできていて、道路に一方通行があったのには本当にびっくりしました。
そして何よりも爆発的な観光客の増大を目の当たりにしたのですが、なぜかしら〇国人のグループは、その場で〇国ドレスに着替えて記念写真を撮ったり、そこでも遺跡に登っては警備員に注意されても「ノープロブレム!」と言い返していました。
ヤレヤレと思いながらも、1999年の年末に初めて東洋のモナリザ像といわれたバンテアイ・スレイに行った時を思い出しました。
なんと、貴重な遺跡の彫刻が施されている砂岩石柱に足をかけてビデオ撮影していたのは「日本人の中年男性」で、マカピーはとても恥ずかしい気分になったものでした。
その後世界遺産登録されると、どこもかしこもロープが張り巡らされ行動範囲が決められてしまったのは仕方のないことですが、勝手にどこでも見て回れた頃が懐かしく思い出されるのでした。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。ワンスアポンアタイムですね