見知らぬ老人に罵倒された友人が目の前で見せた、人を赦すための想像力。
外人は帰れ!!
外人は出ていけ!!!
突然、こんな叫び声が何度も聞こえてきた。
もう20年以上前、友人であるアメリカ人のピーター(最近聞かない古風な名前)と一緒に、別の友人のアパートを訪ねたときのこと。
突き刺すような寒さの富山県での出来事だ。
最初は耳を疑った。
誰が、何を叫んでいるのか。
しかしその声はだんだん近づいてくる。
ピーターに向かって。
叫び声の主は、友人のアパートの別の部屋に住んでいるらしい白髪の老人だった。
面識など、なかった。
おかしな人には関わらずに無視しようかとも思ったが、荒々しい声色とその表情にただならぬものを感じ、停めたばかりの自転車に乗って、今来たばかりの道を引き返すことにした。
目の前で起きたことを消化できず、怒りと恐怖を抱えながら、無言で自転車をこぎ続けた。
僕の前を行くピーター。
彼もまた、無言だった。
しかし、どうにも気持ちがおさまらない私は、ピーターを呼びとめた。
あの老人に理由なく罵倒され、涙が出るほど悔しすぎたから。
そして私以上に悔しくて怖かったのは、見ず知らずの日本人に失礼極まりない怒号を浴びせられたピーターのはずだったから。
だから彼の意思を確認したかった。あの老人に言い返しに行くことに同意してほしかったのだ。
すると、静かながらも全身に響き渡るような言葉がピーターから返ってきた。
「もしかしたら、彼は戦争で嫌な思いをしたのかもしれないよ」
私が怒りに震えて自転車をこいでいたときに、あの老人を極悪人だと決めつけていたまさにそのときに、ピーターは全く違う彼の姿を思い描いていた。
太平洋戦争で学友や家族を失った若かりし彼の姿を。
戦火の中で、決して忘れることのない屈辱を味わった若かりし彼の姿を。
怒ってよいはずの張本人からの予想もしなかった一言に、私は言葉を失った。
自分の小ささを恥じる余地もないほどに、ピーターの寛容さに心を打たれた。
それからまた二人、無言で自転車をこぎつづけた。
その日のその後ことは、なんにも覚えてない。
* * *
あれから20年以上たった今でも、ピーターのあの言葉を思い返す。
あわれみと優しさに満ちたピーターのあの目を思い返す。
人からの理不尽に思える仕打ちに怒ってしまうとき、彼が目の前で見せてくれた、人を赦すための想像する力を思い返す。
そしてその想像力を、私も少しだけ使ってみることにしている。(いつもいつもではないけれど)
自分の脳内に出来上がったストーリーを描き直すようにしている。(できないときの方が多いけれど)
すると、とっても楽になる。
その人生のほんの一部に触れただけで、相手を極悪人だと決めつけなくて済むようになる。
急に、相手のことが愛おしく思えることすらある。
だから、相手を赦しやすくなる。
これからもきっと、何度もピーターを思い出すだろう。
そして何度も、ピーターの真似をしてみるだろう。
そしていつか、ピーターの真似をした私の姿を見た誰かが、私の真似をしてくれたらと願っている。
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