英国のレジェンド植物学者「ジョン・ジェラード」から学べるキャリア戦略
欧州におけるメディカルハーブの歴史を学ぶ際に避けては通れない人物に、イギリスのジョン・ジェラードなる人物がいる。16世紀中盤、コロンブスの新大陸発見以降の大航海時代を生きたハーブ界のレジェンドである。
自分の家の庭で栽培した植物や、当時"新世界"へ航海を行った探検家から集めた珍しい作物を集めて研究し、植物に関する目録を出版。イギリスの植物学の基礎をつくったと評価されている。
さて、このジェラードなるオッサン、生き方がとても面白い。実はもともとの職業は床屋であった。当時のイギリスでは、床屋は手先が起用ということで、外科医として手術も担当するのが一般的だったようで、ジャラードのオッサンも御多分に洩れず名外科医として腕を振るっていた。この時点で、現代ではあまり想定しずらい二刀流スタイルなのだが、オッサンはこれだけでは満足しなかった。趣味が高じて庭師まで始めてしまったのだ。
とにかく「何かをハサミで切る」のが好きで、髪→人体→植物と切る対象を広げていった。とてつもないマルチタスク感。そしてそこになんのシナジーも見出せないように見えるが、おそらくオッサンのなかでは繋がって一つの表現、というか人生のバランスをとっていたのかもしれない。
さて、このジェラードさんの超絶マルチタスクな生き方から、現代の私たちが学べることが多いように思う。
30万年のホモ・サピエンスの歴史を紐解くと、「一人ひとつの仕事」をやることが主流になったのは産業革命以降のたった数百年くらいである。農業が生まれる前の縄文時代は一人で狩猟・採集・焚き火・家づくりなどをやっていたし(ちなみに1日5時間くらいしか働かなかったらしい)、農業が生まれて西洋の中世など特殊な時代を除いては、基本的に人間というのは色々な仕事を掛け持ちするのが当たり前だったようだ。
ところが産業革命以降、自由主義経済という"システム"が開発され、「大量生産・大量消費」そして「生産性」という考え方が生まれた。その大きな"システム"に使われる役目としての人間は、マルチタスクで色々とやる効率の悪さを自ずから(またはシステムの圧力によって)排除してしまったのだ。
産業革命時代の代表的な経済学者のアダム・スミスは、著書『国富論』において「分業が生産性を向上させる」と唱え、「ピン工場」の例を用いて「作業を分担することによって生産効率が劇的に向上すること」を説明しました。つまり、労働者が特定の仕事に特化することで、熟練度が増し、時間が節約され、全体的な生産性が向上するというもので、近代経済学の基礎となっている。
このような考えを基礎として必死にシステムの一部として駆動してきた人間は、効率の悪さに加えて、瑞々しい人間性も排除し、人が人を機械的な歯車にしたように思えないだろうか。
翻って現代、先進国において右肩上がりの経済成長が限界に達し、「大量生産・大量消費」とそれに伴う効率性の理論が環境・資源問題によって人類を脅かしている。ポストコロナの時代でリモートワークが可能になり、働き方改革も叫ばれる直近の日本においては、副業を認める企業や業務委託で仲間を募る企業も増えてきている。
そう、産業革命以降の資本主義経済社会というバクった(それでも文明の進化には必要だった)時代が終わり、人が人らしく生きる、人間性を取り戻す時代が到来したように思う。
そんな人類の新しい幕開けのような時代に価値をもつ生き方とは、このジェラルドなるレジェンドおじさんのように、自分の得意なこと(オッサンの場合はとにかく「何かをハサミで切ること」)を活かして、必要とする領域にひたむきに提供しながら(価値を与えながら)、自分のワクワクを探究していく生き方なのではないだろうか。
最後に、オープンAIでジェラードさんの生き方を画像に描写するようお願いしたところの出来上がりがこちら。これくらいとっ散らかって、振り返ったら何かカタチになっている、というのが瑞々しい生き方、たった一度の人生の味わい方なのかもしれない。