アドラー心理学を学ぶ
アルフレッドアドラーにハマっています。
アドラー心理学について数冊の本を読んだので、
日々の悩みの種になっている部下育成について考えてみます。
きっかけ 人を動かす(D.カーネギー)
きっかけは今の部署に異動してきたときに部長(現副本部長)に言われたことから。
「お前は周りが見えていない、カーネギーを読め」
カーネギーとはデール.カーネギーの「人を動かす」という本。
何度か読み返すうちに上司が言っていることの意味がわかってきた。
※かなり矛盾もあったけど…
カーネギーを掘り下げるとにアルフレッドアドラーにたどり着いた。
カーネギー自身アドラーから多くの影響を受けたとのこと。
振り返ってみるとたしかに「人を動かす」の中にもアドラー心理学に通ずるものがあるのだが、アドラーが「ほめるな」というのに対しカーネギーは「まずほめよ」というし、アドラーが「人は変えられない」というのに対し、カーネギーは「人を変えるための原則」を説く。
しかしながらここからアドラー心理学にハマっていくきっかけとなったことは確かでした!
入門 アドラー100の言葉
なんで読んだのか覚えてないのですが、おそらく何かの本の参考文献から興味を持って図書館で借りたんだと思います。
当時はまだプロジェクトリーダーになる前で
当時のプロジェクトリーダーに対してのストレスを抱えていたとき。
アドラー心理学の初級編という本で、かなり衝撃を受けた覚えがあります。
アドラーの考えとしては全て「自分」から始まります。
全て「じぶん」
怒りがわくのは怒るという選択を自分がしたから
周りは変えられない、変わるのは常に自分
相手の行動を変えてもらうのではなく、その行動に対して自分がどう感じたかを伝えるまで
相手から受け取るよりも多く相手に与える、見返りは求めない
人をどうにかしようと躍起になっていた自分にとって
人をどうにかするのはそもそも無理だから、自分が変わろう
と思わせてくれてすーっと心が軽くなった感覚を覚えています。
2冊目 アドラーに学ぶ職場コミュニケーションの心理学
アドラー心理学を実践で生かす内容になっていて
1冊目の本よりもう少し具体的な内容に落とし込まれています。
この本の中では「人を評価するのは上から目線、横から目線で勇気づけを行う」となっています。
勇気づけ
「勇気づけ」とはアドラー心理学の中での重要なキーワード。
褒めたり叱ったりするのは相手との間に上下関係を生んでいる。
褒めるのではなく感謝を伝えたり、助かったという自分の気持ちを伝えるのが大事。
叱るのではなく理想やビジョンを示すのが大事。
これをユーメッセージとアイメッセージとして紹介している。
「あなた」がこうしたから、「わたし」はこう感じた。という具合。
なるほど、ひとつひとつの行動で他者がどう巻き込まれているかを意識するようになるかもしてない。
人はひと
そしてもう一つ他者への介入について。
「人は変えられない」というのがアドラー心理学の根本的考え方ですが、そもそも世話焼きをして相手を無理に変えようとすることは自己満足である。としています。
また、人の課題まで背負い込むことはない。
あくまで相手の問題は切り離さなければいけない。
よくお節介して人のことで悩んでいる人いますよね…
アドラー心理学ではこの手の行動は全て不要と考えます。
人を変えようとしても結局は自分で気付いたことしか残らない。
だからその気付きを与えられる手助けをするまで。
相手が貢献したいと思う気持ち(自己重要感)を動かすことができれば人は変わっていくのである。
変わりたいと思っている?貢献したいと思っている?
さてここで問題がひとつ。
自分の職場を見渡して「勇気づけ」をする対象はいるけれども
そもそもその人たちは変わりたいとか、貢献したいと思っているのでしょうか。
前提として「このままじゃいけない」と感じている人に対して背中を押すことはできても、そう感じていない人にやろうとしてもそれこそ自己満足になってしまうし、たぶんその人の背中を押すことはできないですよね。
ここで、まず「変わりたい」と思わせること、が課題として浮上しました。
3冊目 アドラーに学ぶ部下育成の心理学
さて調子よく3冊目。
2冊目と同じシリーズの部下育成特化バージョンです。
この本では表紙にあるように
「ほめるな、叱るな、教えるな」が鉄則になります。
勇気づけ
ここでもテーマは「勇気づけ」で。
褒めたり、叱ったり、教えるのは上から目線だからあくまで勇気づけをしてくださいね、そうすれば部下は自ら動きますよ、ということになります。
ここでやや躓いたのが、「勇気づけ」と「褒める、叱る」の違いが難しく、実際に日常で意識的に使い分けることが困難であること。
当然実践しようとはするのですが、咄嗟に会話の中で場面に合わせて「勇気づけ」を使いこなすのは思った以上にテクニックが必要だなと感じました。
「勇気づけ」の区別として以下のように補足します。
褒めるな、は感想を伝えないではない。
叱るな、は甘やかすではない。
教えるな、は放任するではない。
さらに難しくなったような気もしますが、
つまるところ上下関係ではなく横から目線の対等な関係を目指すことです。
「対等な関係」を強烈に意識する必要がありますね。
共同体感覚
さらにもう一つアドラー心理学の中の重要なキーワードとして「共同体感覚」というものがあります。
これはアドラー心理学の目標とされていて「自分は役に立つという自信」、「周りが助けてくれる信頼感」、「自分の居場所がある安心感」などを指します。
アドラー心理学ではこの共同体感覚の育成を自分、相手ともに推進していきます。
これはとにかく相手(部下)との対話により信頼感を築くこと、と私は捉えていて「あなたが必要」、「何かあれば助けるよ」ということを伝えていくことなのかと思っています。
しかし共同体感覚を目標とするのはあくまでアドラー心理学を認識し、共感している前提です。
ですので、まずはこの共同体感覚を植え付けるところから進めるべきかと考えています。
「自分は役に立つという自信」⇒役に立たなければいけない認識
「周りが助けてくれる信頼感」⇒積極的にチャレンジする姿勢
「自分の居場所がある安心感」⇒自分の居場所がいつまでもあるわけではない焦り
つまり自分の現状に満足せずに焦りを感じていて、成長を求めてチャレンジする姿勢をもっていること。
至極当然の社会人としての姿勢とも思われますが、これを求めていない人が大勢いるのも現実で、まずはこの土俵に上がること。
これこそが部下を持つ身の手腕が問われる点かと。
2冊目の最後の項目にも入れましたが、「変わりたい」と思わせることが最初のハードルで、それがないまま「勇気づけ」や「共同体感覚育成の手助け」をすることは自己満足になってしまいます。
そこで
定期面談での会話
相手(部下)との面談を設けて目指すべき姿、目標を定めました。
ここで意識したのはあくまで「自分の言葉」で言わせて主体性を持ってもらうこと。
この手の意識の低い部下たちは総じて主体性がなく、
プロジェクトチームとしての成功も喜びを感じず、失敗は他人事です。
もちろん目標については多少の軌道修正は行いますが、とにかく相手が納得する形で目標設定をします。
そうすることで「指示されたやらされ仕事」が「自ら意識をもってやる仕事」になり、「仕事の手柄」が喜ばしくなり、「仕事の失敗」が悔しくなり本気で反省します。
とはいえ部下をみていると、この目標設定は応急処置。
見せかけの目標となっていることが多く、実際は「言わされた目標」になっていてそれでも「言ってしまったからやらないと」になっていると感じます。
部下たちを本気にさせることはまだできていません。
4冊目 嫌われる勇気
さてそろそろアドラー心理学における自分なりの結論を出したいところですが、ゴールはまだ遠そうで。
ここで手に取ったのがアドラー心理学を世に知らしめる原点となったと言われる岸見 一郎,古賀 史健著の「嫌われる勇気」。
青年と先生の対話形式でアドラーの教えを説きます。
悩みの原因は全て人間関係
この本の中で悩みの原因は人間関係であると説いています。
そしてそれは人からの評価を気にしているから。
つまり嫌われたくないから。
しかし、他者の期待に応えることなどしなくてよい。
自分の人生を他者からの評価で価値を決めなくてよい、
むしろそれは自分の人生を他人任せにしていることである。
自分が納得するように生きられれば悩みがなくなり、楽になる。
しかしそれなりのリスクがある。
それが「嫌われること」だ。
自由とは人から嫌われる覚悟がないと得られない。
だから人から嫌われる勇気を持ちなさい。
健全な劣等感
参考になるなと感じた内容に
健全な劣等感と劣等コンプレックスの区別がでてきます。
健全な劣等感とは志が高いことにより理想の自分とのギャップが生じ、それを努力や成長の促進剤にすること。
他者と比べるのではなく、理想の自分と比べている。
それに対して劣等コンプレックスとは
劣等感を言い訳にして「○○だからできない」という見かけの因果律になってしまう。
だから部下にも自分で目標を掲げてもらい、
その目標に対するギャップ(劣等感)をバネにして成長を促したい。
成長を促すための劣等感を与えたい。
他者比較ではなく目指すべき自分の理想像をライバルにして
今の自分より前に進もうとすることに価値がある、ということを伝られれば、と考えています。
人を変えることはできない
先ほど「他者の期待に応えることなどしなくてよい」という内容がでましたが、それは「他者もまたあなたの期待に応えようとはしない」ということです。
ここで改めて「人は変えられない」という結論に至ります。
人が変わって見えるとき、
それは自分が変わったから相手が変わって見えているだけ。
周りが変わったと思えない今、
私自身の変化が必要なのだと思います。
そして自分の変化を示すことが必要なのでしょう。
本の中で「世界は他の誰かが変えてくれるのではなく、私によってしか変わりえない。」という旨の話がでてきます。
この世界は私が見ている世界。
私が変わることで見え方を変えれば世界が変わる。
変わるなら今ということだと思いました。
自分自身の変化
重複しますが、「嫌われる勇気」から私の理想を思い描きました。
それによる私の思考の変化が以下になります。
自分の納得を優先することで後悔をなくす
部下は私の期待に応えようとはしないという前提を認識する
人それぞれの理想像があり、そのためにどんな協力ができるかを考える
10年前に知りたかった。ではない、今知るべきだった。
少し趣旨とはずれますが、この本の中で好きな一節です。
青年はアドラーの教えを「あと10年前に知りたかった」と嘆きます。
先生は「それは違う、今知るべきだった」と答えます。
それはつまり10年前に知っていても今のあなたのようには感じなかったであろう。今のあなたにだからこそ響いたんだ、ということです。
私はこれを「知ることに遅いということはない」と捉えました。
だからこれからも勉強し続けていこうと思えた、勇気をもらえた。
学びに関して何か焦りを感じた時に思い出したい一節です。
まとめ
アドラー心理学と出会い、約2年。
合計4冊の本から学ばせてもらいました。
これは私が自発的に学んだことによる私自身の気付きなので、
大切にしたい信念としてここに記します。
あくまで自分の気付きであり、自分の基準なので、
人には強要しないということを肝に銘じます。
教育と育成に置き換えて考える
褒めてはいけない、叱ってはいけない、とは。
これはつまり褒めなければ適切な行動をしないし、
叱られなければ不適切な行動をとってもよい、
という風にするなよということです。
「勇気づけ」とは人に対して
「ここにいてもいい」、「あなたが必要」ということを伝えること。
これが「共同体感覚」となり、対等な関係を築くことになる。
私は無意識のうちに部下の理想を私が決めて
それを100点としたときにできていないことを減点していくような
接し方をしていたのだと思います。
だからそうではなくその人ごとにゼロスタートをして
できていることを積み重ねていくように考えたい。
そうすることで「他者貢献」を感じてもらい、
私自身も「他者貢献」を感じられるのでないでしょうか。
「嫌われる勇気」の中で「他者に貢献すること」が目指すべき北極星であり、それを見失わなければ何をしてもいいと言っています。
アドラーを学んだことで私が示した北極星は
「部下であっても対等に接すること」で切磋琢磨していくことです。
りょ
22歳:現在の会社に入社(管理営業系)
27歳:親会社へ出向(管理営業系)
29歳:帰任、部署異動(企画系)
30歳:プロジェクトリーダー就任
32歳:現在に至る
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