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ジャイアンが崇拝される社会

迷える子羊たちが望むのは、「強者に支配される」こと。


日本人の多くは「政治家の不正」「長期間の経済の低迷」により、とても大きな怒りと不安を感じている。
しかし、知識があまりない人たちは政治に何を期待すればいいかわからない。
どれほど国会で議論を重ね法案を作っても、隙をついて悪事を働いたり、お金で揉み消す議員が減らない現実が続けば、社会に絶望し政治に関心を失いまじめに働く気がなくなるのもわかる気がする。

ヒーローではなくジャイアンの登場を期待する一部のネット民


そんな社会で長い間苦しむと、人はどうなるのだろう?
驚くことに、多くの支持を得るのは「温和な平和主義者」よりも
強引で、声が大きくて、腕力の強そうな「ジャイアン」のような存在だ。
彼はジャイアンなので、わがままで自己中心的である。

人の話を聞かない。主張がコロコロ変わる。理不尽な理屈で人に迷惑をかける。
そう。誰もが知っているあのジャイアンそのままだ。
ところが、そんな不穏な人物であってもこの混沌とした社会の中では、ひと味違った人物に見えてくる。

理屈ではなく、彼の発揮する常識の通じない強引さで、反対意見をねじ伏せる傍若無人な態度が、ガラガラポンとばかりに、一気に問題だらけの社会を作り直してくれそうな予感がするからだ。
かくしてジャイアンはネットの一部で絶大な支持を得て注目を浴びる事になる。

これが政治が分からない大衆の恐ろしさでもある。



とはいえ。
ジャイアンなので、彼がやっているのは結局のところ問題解決ではない。
イジメ・差別・暴力・ネットリンチ・恐怖による言論封鎖であり、社会を作り直すどころかただの破壊活動であり近代社会文明の進化に逆行することが、どんどん起きているわけだ。
そして、単にお金と権力を手中に収め、自分のための世界を作り上げることに執心する。

そんな一見、誰の支持も得られそうもない人物であっても、超不安社会に生きる市民達は、ジャイアンのおこぼれに預かり帝国の住民になれば、自分の居場所を手に入れる事ができる。

権力の下辺となる事は、とても安心できる事でもあるからだ。


こうして、ジャイアンに熱狂する一部のネット民は、非人道的なやり方や反社会的なやり方にも手放しで賛同の意を示すことになる。
それはまるで「正義の戦争」があると信じてしまった、分別を持たない権力に従順な羊たちである。
ジャイアンと一緒にれば、自分も革命の戦士になったように錯覚するからだ。

この市民達のように、問題だらけの社会に「リセット」を望む気持ちはわかるが、政治をゆだねる相手が間違っていないか?


曇りなき眼で見定めよう。
きっと気付く事ができる。
最後に救いなるのはいつも「しずかちゃん」かもしれないということに…。