見出し画像

極限まで自由に思考しよう

こんにちは、馬渕です。

今日は、私が情報発信をするうえで大事にしている考え方をお話しさせてもらえればと思います。

・・・

2011年から2020年頃までに掛けて、私は哲学や人間の思考の仕組みについて研究していました。

哲学や思考といっても幅広い内容が含まれるのですが、私は特に強い関心を持っていたのは「思考の自由さ」という抽象的なテーマでした。

・どうすれば、自分はもっと自由に物事について思考できるようになるだろう?
・人間が極限まで自由に思考できるようにするためには、どんな方法論が必要だろうか?

あらゆる問題やテーマについて、人間が極限まで自由に思考するための方法論を開発することが、私の18歳のときからの目標でした。

このような「自由に思考するための方法論」を研究するきっかけになったのは、私の中にあった拭い難い「不自由さ」の感覚でした。

人生においての個人的なレベルでの「不自由さ」だけでなく、この社会の至る所に見受けられる「考え方の不自由さ」の存在も強く感じていました。

なぜ、人は自分の思い込みを疑うことができないのだろう?
なぜ、人は他者に差別意識や偏見を持ち続けるのだろう?
なぜ、人は物事の多様な側面のごく一部の側面だけを見て、
暴力的な議論をするのだろう?
なぜ、人は自分の主義・信条、価値観を他者に押し付けるのだろう?
なぜ、明らかに非合理的で不条理なルールが維持され続けるのだろう?
なぜ、社会は抑圧的な制度・ルールで人を縛り付けるのだろうか?
なぜ、日本で自分らしい生き方・働き方をすることは、これほど難しいのだろう?
なぜ、教育はこどもたちの独自の才能や人生の目的について、これほど盲目的なのだろう?
なぜ、人は学歴/収入/外見/性別などに縛られ、それを相対化できないのだろう?
etc…

私は、現代の日本社会の生きづらさの原因の一端は、こうした社会を支配する「不自由な考え方」にあると考えています。

この目には見えないけれど確実に存在し、私たちに強い支配的な影響を及ぼしている「不自由さ」を乗り越えるために、私は「思考の自由さ」を強く求めるようになったのです。

・・・

「自由に思考する」という言葉には、私にとって色々な意味が含まれています。

自分の中にある思い込み、固定観念を疑えること。
新しい概念(考え方)を創造したり、
目の前の問題を、革新的なアプローチにより解決すること、
多様な観点(パースペクティヴ)を切替え、
物事のあらゆる側面を理解できること
常に自覚的に、またメタ的に思考できること。
既知の領域に留まるのではなく、未知の領域へと進むこと
etc…

例えば、こうした思考方法ができれば、それは自由さの現れだと言えると思います。

もしこうした自由な考え方を、日常生活の中で実践することができれば、個人のレベルでもとても生きやすくなるし、社会的な変化も起こりやすくなるではないでしょうか。

・・・

思考に関する研究を続けるなかで、幾人かの先生から本当に多くのことを教えてもらいました。

現在、特に私が人生や生き方に関して確信するようになったことが二つあります。

まず一つは、

人生は、人間が思考する存在である限り、「問題」として現れ続ける

ということです。

思考(考えること)は、「人生とは何か」という問題の答えに深く関係しているのですね。

「人生とは何か?」という問題はよく議論されるテーマですが、私の場合は、

人生とは、人間に与えられた「問題」である

というのが最も妥当な表現だと感じています。

このことは、例えば、

精神的な問題、身体的な問題、知識・学習の問題、仕事・働き方の問題、お金・経済の問題、人間関係/家族関係の問題など、

このように、私たちが生きている限り、あらゆる問題に直面し続けることからも明らかではないかと思います。

私たち一人ひとりにとって、人生とは解明すべき「問題」として与えられていて、

人間が思考し続ける限り、人生は疑いなく「問題」として現れるのです。

・・・

もう一つ、私が過去の様々な経験を通じて確信するようになったことがあります。

それは、「自由に思考する力」は、人生に極めて大きなインパクトをもたらしてくれる、ということです。

「人生は問題として与えられている」
「人間が思考する限り、人生は問題として現れる」

このように、私たちの人生は無数の「問題」によって満たされているからこそ、自由に思考する力は、生きるうえでとても強力な武器になります。

「自由な考え方」の形の一つとして、「思い込みを疑うこと」があります。

もし、私たちに思い込みを疑う力が全くなかったら、どうなるでしょう?

家庭の中で教えられたこと(両親の教え)を正しいと信じ続け、一生を支配されてしまうかもしれません。
学校や会社で受けた教育に囚われ、人生の可能性を制限し続けてしまうかもしれません。
「自分は頭が悪い」「自分には才能がない」という誤った神話を、信じ続け
てしまうかもしれません。
テストの点数や学歴に縛られ、自分の知性や才能を否定してしまうかもしれません。
外見に囚われ過ぎてしまい、自分に自信を持てないかもしれません。
他人の評価ばかりを気にして、自分の本当の気持ちを無視してしまうかもしれません。
生まれ持った病気や障害を、恨み続けることになるかもしれません。
真に自分らしい働き方ではなく、ただ生き延びるために仕事をするかもしれません。

ですが、もし、「極限まで自由な考え方」(例えば、思い込みを疑うこと)ができれば、こうした制限はすべて、取り払うことが可能です。

・・・

以前、尊敬する先生から、私たちが経験する目の前の現実の出来事は、実は、「内側の認識」を反映している、ということを教えてもらいました。

生き方について、仕事や働き方について、健康や病気について、お金について、人間関係について、、、

何らかの認識(思い込み)を持っていると、それは未だ解決できていない「問題」として目の前に映し出されるため、

この問題は、この認識(思い込み)を変えなければ、根本的に解決することができないのです。

ところが、もし自由に思考する力が身につけば、自分の内側の認識を次々と変容させることができ、それを外側の現実に反映することができます。

自由に思考することによって、自分の人生の可能性を幾らでも広げられるのです。

自由に思考することの重要性や面白さを、多くの人に伝えていきたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?