人生の名医
年賀状じまいのハガキが来る
クリスマスケーキの予約開始の幟が立つ
おせち料理の予約開始のポスターが貼られる
年末到来
速すぎる1年
犬猫たちは涼しくなって元気になってきたみたい
でも猫の栗丸が尿路結石を再発したようで
床におしっこを撒き散らしている
でも出ているだけ良いかな…と床掃除
散歩中に古い知り合いと遭遇した
可愛らしい犬を連れていて
〝どう躾たらいいのかわかんなぁい〟
とボヤいていた
敢えて何も言わずに別れた
犬猫なんて部屋も服も毛だらけになって
糞尿の後始末に追われて死ぬまで面倒をみるもの
その覚悟がなければ〝買わないで〟欲しい
今、犬猫の主治医となってもらっている医師は
心から尊敬できて考え方がマッチしている
以前かかっていた医師とは天と地の差がある
でも払うお金は逆に天と地の差
40代後半の〝若い〟医師
栗丸の尿路結石では万札が何枚も飛んだ上に
毎日嫌がる栗丸を連れて行き点滴のために拘束した
今回はまず連れて行かずに話をしに行った
検査をしなくても症状、状態は言い当てて
原因や今後の見通しを丁寧に説明され
適切なフードを購入した
これで数日で良くなると
かかった費用はフード代だけ
前回の10分の1
〝話を聞くだけでも診察代はとらなきゃ〟
と毎回言うけれど
いつもニヤリと笑うだけ
少し歳上の60代中半の男性医師
ごん太が行方不明になって数日さまよい帰った時も
連れて行くのはストレスになると思い
とりあえず状況を話しに行った
アレコレ説明してくれて
もしもこういう症状が出たら連れて来なさい…
という診断
きっと以前の医師ならあらゆる検査をしただろう
もちろん
それをしてもらって飼い主が安心するなら良い
お金の使い方は人それぞれ
私は犬猫にも我が子にも
余計な事はしたくないという考え方でやって来た
緊急事態はきちんと見ていればわかると思う
目をかけて手をかけるな、だ
以前の医師が猫のまきちゃんの余命宣告をした
いろいろな検査をした後〝3ヶ月〟だと
〝原因は?〟と聞くと
〝わかりません〟と言った
全ての検査の結果がそうだったらしい
診断ミスを咎めるつもりはない
有り得る事だと思っている
でも気に入らなかったのは
〝わかりません〟と言った事
まきちゃんでは無く、数値を見ての結論だった事
3年後に今の医師と出会い診てもらうと
ただのアレルギー
注射1本で症状が激減した
何か患っていたのかも知れないけれど
少なくとも3ヶ月以上は生きている
早くこの医師に診てもらっていたら
酷いアレルギー症状で苦しまなくて良かったのに
…と後悔した
〝完治はしないよ〟と言われているけれど
余命3ヶ月だったまきちゃんは6歳になり
今日もとぼけた顔で楽しそうに大暴れしている
ある方とイマドキの人たちの
無関心さ無表情さの話をした
私の中での結論は〝思考〟していない事が原因
とにかく〝考えていない〟ように感じる
目の前にあるもの、ことについて
頭の中で考察する事をしていないんだと思う
目の前の患者の様子より検査値をみる
細い歩道ですれ違う人が
端に寄り立ち止まったのは誰のためなのか
広くもない幅の道路を
30キロで走らないといけないのは何故なのか
気がつかないのではなく
意識が行っていないのだと思う
たくさんの立派な機械で検査をしても
目の前の生き物が何に困っているのかには
関心がないのだと思う
それなのに〝老害〟などと言う言葉を使い
〝古い〟事をバカにしたりする
目に余る行動をする年寄りはいる
でも、目に余る行動をする若者もいる
私からしたら〝平等〟を謳う若者たちは
限りなく愚かに見える
100人いたら100種類なのに
学校選び、仕事選び、結婚相手選び…
いくつもの分岐点に
自分の〝勘〟を使った事はあるのだろうか?
コスパ、タイパなどわかったような言葉を使い
データや標準から自分の行く道を決めようとする
どんなに愚かに見える年寄りでも
30年40年分、自分より多くのものを
見聞きして、触れて、感じて、生きている
それはもちろんご立派な学問の事だけではない
そう思う