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「木屋町」


「酒飲みの片思い」(1984年作品)より

 木屋町筋は、鴨川と河原町通に挾まれた、南北の通りです。夕暮ともなれば、昼とはうって変って、酔を求めて彷徨する人・人・人で大変な賑わいになります。道に寄り添って流れる、晴明な高瀬川と風に揺れる柳の並木は、四季を通じて、京都の風情が感じられる景色のひとつです。
 この高瀬川は、江戸時代に京の豪商角倉了以が、三百七十年程前に、幕府の特別許可のもとに、私財をかけて建造したとのこと。建造後、文字通り、京と大阪の物流の中心となり、彼は、以前にも増して財を貯えたと伝えられています。
 その流れは、二条より鴨川の水を分流させ、伏見港をへて、淀川に通じます。長さ十数キロ。江戸時代の一大事業が今も生きる京都です。
 また、森鷗外の代表的な小説、「高瀬舟」は、ここにその題材を得ています。
 木屋町筋のあちこちには、新撰組で有名な池田屋騒動はじめ、幕末の動乱のざわめきと維新の若者の激情の痕跡を示めす石柱が見られ、往時の様子が偲ばれます。
 でも、最近の木屋町界隈は、ごたぶんに漏れず何処の都市にも見られる、ギラギラした色情産業に毒されつつあります。坂本龍馬も冥土で、その風情の無さに、激怒していることでしょう。
 都をどりのおさらいの声々が、そこここから聞こえて来る三月の終わり。高瀬川に垂れる柳の新芽も、ぼつぼつ膨らみ始めます。その頃、比叡山から吹いてくる、ちょっと冷めたい風を頰に受け、四条から五条にぶらぶら歩くのも楽しいものです。
 四条から南の川沿いは、いまだに昔の京のたたずまいそのままに、格子づくりと甍の屋並みが五条まで続きます。夜になると、柳の暗影の中にぽつぽつとひっそりと静かな灯りが見られます。そんな灯のひとつに入って春酔酒に恍惚となった夜。「おおきに、またおこしやす」、の声も遠くに聞こえるそんな夜。高瀬川の流音を聞きながら、ゆらゆら揺れて帰る夜。おぼろ月が柳に霞む、そんな夜。また嬉し。また偷し。

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