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旅は酒

秋の始めの
酒ばなし
酒田の港と雪と鳕鍋
鬼に笑われ
夢や幻


「愉しさ発見」(1986年作品)より

 旅の愉しみは、食と酒につきます。もちろん、旅先での人との出合いも、大きな愉しみの一つですが、その出合いの始まりは、やはり、酒。
 十月は、神無月。八百万の神々も出雲の大社に旅をされるは、縁結びの相談ならず、酒造りをするためらしい。「御神酒あがらぬ神はなし」。神も凡人も変らぬは、酒を想うこころか。
 十月の声を聞くと、酒は、燗。燗の始まり。熱燗をきゅっといっぱい、のど元を通り、腹の中にしみ込む感じのここち良さは、上戸おおいに喜こぶ。
 ある日、ある晩。酒友達と二人、小鍋をはさんで熱燜いっぱい。あれやこれやと話す内。
 「所で、この冬の予定は」
 「冬とは、いつ」
 「冬とは、雪」
 「雪とは」
 「鍋」
 「何んや、三題噺みたいに」
 「あれ、その、雪の降る夜の鍋、ふうふう、熱つ熱つのあの鍋や」
 「あの鍋て」
 「前に言っていた、あのタラ鍋、タラ鍋」
 「あゝ、あの酒田の」
 「そうや、厳寒の酒田港の雪の夜の鱒鍋で、熱燜いっぱいの話や」
 秋の始めだと云うのに、もう厳寒の冬の話。酒飲みの話しは、下戸が聞くと不脈絡はなはだしい。が上戸同志は、脈絡、相通じ、酒に通ず。
 「来年の二月には、ぜひ」
 いよいよ鬼も笑う。
 かくして、次の年の二月始め、京都は、雪であった。勇躍旅立ち、東京で酒友と合流。吹雪の中の熱々の鳕鍋でいっぱいの企画実現。鳕鍋を待てず、汽車でいっぱいやりながら、ここち酔。
 当日の酒田の街は、吹雪ならず、猛風と雷鳴とどろく、淒しい夜。期待の雪なくも、鳕鍋旨し。

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