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水の国と二人の旅人

 新緑が輝く草原に、ぽつりぽつりと背の高い木が呼吸をするように揺れている。長く緩やかに蛇行する一本道が続く先には、建物や電波塔などの人工物が小さく見えていて、そのまた奥には遠くからでも大きく見える山々が、霞がかってそびえ立つ。二人の旅人は荷物を降ろし、一本道から少し外れたところの傘の広い木の下でひと息ついていた。
「もう少しだよ。あそこの都市で、今夜は泊まろうか。」
 まだ日が暮れるには十分の時間があったが、長い道のりを歩き疲れた二人は早く腰を下ろしたい気分でいた。
「ちょっと待って、あと一服。」と、一人が煙草を巻こうかとするやいなや、そこに土煙を巻き上げながら一台の軽トラが止まって、中から目尻に皺のついた快活な若者が顔を出した。
「どうした、お二人。疲れているのなら乗せてあげようか。」
そう言って、屈託のない笑顔で後ろの荷台を指差す。願ってもいなかった言葉だと、一人は遠慮もなく飛び乗り、一人は半信半疑ながらも礼を言って飛び乗った。二人の旅人を荷台に乗せた軽トラは、さっきまでとは違いゆっくりと進む。車内のミラーに映る若者は、ふんふんと鼻歌を歌いながら陽気にハンドルを握っていた。

 「到着だよ。礼?そんなの要らないよ。じゃあ、楽しんでな。」
都市の前で降ろされた二人は、お辞儀をして軽トラが走り去るのを見送る。なんて優しい方に巡り合えたんだ、俺たちはラッキーだなと言って笑う一人の横で、もう一人は少しでも疑ったことを恥じた。
 その都市には、青色に透きとおった綺麗な川が流れていた。川の所々には水草が揺れて、太陽の光を元気よく吸い取って背伸びをしている。宝石が流れているのかと勘違いするくらいにきらきらと光るその川は、都市の人々に長らく大切にされてきた証でもあるのだろう。
 都市に入って直後にあるその川に見惚れていると、これまたさっきの若者に負けず劣らず、善意の塊のようなオーラを放つ恰幅の良い女性が近寄ってきた。
「こんにちは。どこから来たのですか?」
どの人も自然に会話をはじめてくるなあと思いつつも、嫌な感じは一切ない。むしろ心地の良さを感じるほどであった。
「ここよりいくつか東の町から来ました。それにしても、この川はとても綺麗ですね。」
「そうでしょう。ここのお水はあそこに見える山から流れてきてるんですよ。」と、先ほど見えた大きな山を指差して微笑んだ。
二人の旅人はそうですかと応えて、その山を見上げていると、
「少しお疲れの様ですし、喫茶店にでも案内しましょうか?きれいな水で作ったコーヒーはここの名産ですよ。」と言ってまた笑った。
 もう流れのままに動いた方が良さそうだと、無言で頷き合い理解した二人は、そのまま提案通りに喫茶店へ行き、そこの主人の提案通りの宿にチェックインをして、受付の提案通りの銭湯へと足を運んで、日は暮れていった。

「きっとこの銭湯の湯も相当綺麗なんだろうなあ。」
「怖いほどに親切だったけど、怖いほどに見返りを求めてこなかったよな、みんな。」
 湯気が濃く立ち上る銭湯で、二人は疲れを癒していた。大きな富士山の絵が壁に描かれ、それに湯気がかかり神秘的な雰囲気を醸し出している。
「ずっといたいって思わせるような、良い人たちだらけの良い都市だな、ここは。」
湯船から顔だけを出している一人は、無意識に呟いているようだった。
「そうは言ってられないよ、名残惜しいけど明日には出発しよう。」
たった一日の滞在で名残惜しいだなんて、他に訪れた市区町村に失礼かな。なんて思いながら一日を振り返って、やっぱり笑った。

 翌日の朝。快調すぎる寝起きに、外は雲一つない快晴だった。淹れた珈琲で一服をしてから荷物をまとめた後、宿を後にした。
「これよろしければどうぞ。要らなかったら捨てても構いません。」と、ボトルの水を二本サービスしてくれた宿の受付の若い女性に、最後まで心を打たれながら、二人の旅人は再びあの川へと向かう。
 すると、前日と同じように川を眺めている二人のもとに、前日と同じ恰幅の良い女性が歩いてきた。
「おはようございます。昨日はありがとうございました。」
「おはよう、お二人さん。雲一つない良い天気で、天道さんも元気に振る舞ってますね。」
出会ったばかりの関係で、ここまで親しみを持てるのは不思議だった。しかし、女性はそんな素振りを一切見せず、またにこやかな温かい空気感を作り出している。
「もう出発ですか?荷物をまとめているようですけど。」
「そうなんですよ、名残惜しさはありますがね。最後にこの川をもう一度見たくなって。」
「最後なんて言わず、また来てくださいね。」
そう言って、女性は変わらぬ笑顔を見せた。疑い深い一人の旅人は、ついに彼ら彼女らにはなんの悪意もないと確信してこんな質問をした。
「どうしてここの人たちは、どこまでも親切なんでしょう。」
それに彼女は一瞬訝しげな顔をしてから、またすぐににこやかになり「水が澄んでいるからでしょうか。」と答えた。

 都市を後にして歩く二人の旅人は、最後に女性が言った答えの意味を考えていた。きれいな水があるところでは、きれいな心が育つ。そんなような事は本で読んだことがあった。貰ったボトルの水を確かめるように飲んで、喉を潤す。そして同時にこんなことも思い出した。人間の身体はほぼ水でできている。二人はハッっとした表情で目を見合わせて、変に腑に落ちた。

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