2024/10/23日記_『地獄が呼んでいる』を1stみなおして、2ndの前に考えた
10/25金曜日にNetflix『地獄が呼んでいる』の2ndシーズンが始まる。1stシーズンは配信が始まってすぐに観た。調べたら2021年だったので、もう3年になる。怪物が人を殺す儀式や、あの人は死んだ、程度の記憶は朧げにあるものの、殆ど覚えていないので観直した。2ndが始まる前に、2度目の1stシーズンを観終えた。
どこからか死の時期を宣告され、その時刻になると地鳴りがして、3体の怪物が現れて、人をいたぶって散々苦しめて惨殺した後、熱い光線で遺体を燃やす。これがどんな事件なのか謎のまま、解釈だけがヒートアップしていく。そのなかで、罪人を神が地獄へ送るため、と解釈する宗教団体の世論への影響力を高めていく。またあるYouTuberが煽って、暴力的な自警団が増殖していく。死を宣告された人を探し出し、その人とその人に近い人たちを見せしめにリンチする。
終盤で流れが変わる。罪を犯せないはずの新生児に死の宣告がなされた。この事象が世の中に広まると、神が罪人を殺す、という主張が崩れるために宗教団体は必死に隠蔽しようとする。その新生児は予告通り現れた怪物に光線を浴びせられた。けれど両親が我が子を抱き、その子を守った。両親は丸焦げになって焼死したものの、新生児は生き残った。最後のシーンでは、序盤死んだ女性が生き返って1stシーズンが終わる。2ndシーズンではどういう展開になるのだろう。
死が宣告され、怪物が殺しにくる、という仕掛けがドラマを面白くしている。これはどんなことのメタファーなのだろう。事象の解釈については、人の立場が影響する。宗教団体は正しいことをしていれば、裁かれることはないとする。
過ちは大きなことから些細なことまで論うことができるのに対して、正しいことだけで生きることはできない。だから、だれでも叩けば埃は出るわけで、その人が正しいかどうかなど関係なく、嫉妬や腹いせで罪人扱いする。このようなことは現実にも多々あって、タレントが不倫してなぜ公に謝罪しなければならないのか、そういうことにも通づる。
死を宣告されてから死ぬまでの期間は、それぞれで数十秒から数十年と幅が広い。死を宣告されるというのはどんなメタファーと考えることができるだろうか。病気になって余命が告げられたり、事故や災害にあってすぐに死ぬと悟ることもあるかもしれない。会社の定年退職や、スポーツ選手の引退、のようなことも一つ生き方を終わりにすることかもしれない。
正しく生きなければならない、という言葉はどこまでも追っかけてくる。不安を煽る広告にも重ねられる。健康や病気、美容、勉強について、もっと良くした方がいいと広告は煽る。現状で満足しているのは怠惰だと言わんばかりに、いまの自分を否定してもっと良くしなさいという。そんなことに多くの人が神経症的にピリピリした世の中になっている。
2ndシリーズが楽しみだな。