2024/10/22日記_現代のリーダーって、そもそも
中沢新一さんは『カイエ、ソバージュ』で、アメリカの文化人類学者ローウィによるインディアン社会の首長についての論文を紐解いている。首長とは、交渉や調停を司り平和をもたらし、自分の財産をもの惜しまずに与え、弁舌に長けて歌と踊りがうまくてはならない。つまり、首長とは文化を尊ぶ存在で、動物のように欲にまみれたりしない。将軍は戦闘を指揮する。面白いのは、首長の役割と将軍の役割を同じ者が兼務してはならないことだった。
デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングロウは『万物の黎明』で、レヴィ・ストロースの論文をを引用し、狩猟採取をしているナンビクワラ族の首長の話を載せている。乾季は狩猟をするために英雄的なリーダーとなる一方で、雨季は困窮者の世話をしたり、諍いを話を聞いて調停する。こちらは同じ人物ではあるものの、戦うリーダーと平和的な解決を司る者が同じ人に同時期に兼務しない。
これらを読むと、ぼくらが抱くリーダーのイメージが人間にとって適したものなのか疑問も出てくる。先人たちはそれらを同じにしてはいけないと、わかっていたのかもしれない。
中沢さんが書いているのは、それらが一人に集約されると人間の中でのバランスだけでなく自然とのバランスも崩れていくということだった。アパッチ族の戦士から首長になったジェロニモのことを記している。彼は家族を虐殺されたメキシコ軍に復讐心を燃やし、天才的な軍事指導者を示した。彼は更なる戦いのために権力をもっと集約させようとしたところ、アパッチの人々は次々に軍営を去った。
現在の社会では当たり前のように組織の長が全責任をとって、実行の全権を握る。その一方で組織内での権力を独り占めするようなことに抗いたい気持ちもある。組織は抗わせぬように、押さえ込む仕組みを作ったり、民主的な組織を作ろうと工夫し、組織はそのせめぎ合いで進化していくのだと思う。ただ、抗いたい気持ちというのは本質的なもので抑えて収めることはできない。それが人間なのだと思う。