アタッチメントや寂しさや
NHKスペシャル『アタッチメント "生きづらさ"に悩むあなたへ』を観た。
アタッチメントという言葉も初めて知った。うまく説明することはできないけど、こんなことだった。赤ん坊や小さな頃に不安を感じた時に信頼できる人(おもに親)に縋りついたりすることで気持ちが落ち着いていく、みたいなかたちで形成されていく、それがアタッチメントだった。それが不足したまま大人になっていくと、不安に感じたり人を避けたり疑り深くなったする。
番組の中にネグレクトを受けて施設で育った高校生がいて、施設のスタッフに甘えたりまとわりついたり、その一方でスタッフが他の子と楽しくしていると拗ねてどこかに行ったりする。たしかに身近にいたら面倒なキャラクターではある。でも、このアタッチメントを知った上だと腑に落ちるというかその子のせいでもないということはよくわかった。
坂口恭平さんが自己否定の根源は幼少期の寂しさにあると語っていたこととつながる。ぼく自身は両親も揃っていたしネグレクトされていたような記憶はないから寂しかったとは思っていなかった。でも、夕方に誰もいないうす暗い家でテレビを見ていたような記憶があってそれは寂しかったのかもしれない。妹が病気がちだったために母は家に居らず、祖母が来てくれていた。祖母は優しかったけど、少し距離はあってなんでも話せるわけではないし、一緒に遊んでもらうことはできない。だから思うままに話せる人はいなかった。
さらに実家は新興宗教(多額の献金を求められるような団体ではない)に入っていて、そのせいでとても道徳的だった。だから初めから口を封じられているような気がしていた。いまでも人と話すのは得意でない、内気なところがある。内気なことは、そういう性格なのかもしれないと思ってきた。けれど、いまは大人しくしている方が楽だったと思っていた。大人しくしていると褒めてくれる人もいて、そういった経験から徐々にそうなっていったのだろう。積極的に話さないというのは小さな頃に染み付いてしまった習慣なのだろう。
そんな感じで寂しさとアタッチメントを結びつけていくいろいろと腑に落ちてくる。自分も例外でなく、大人になってもめんどうな人は多い。迷惑をかけるほどわがままな人、承認欲求が強い人、パワハラやセクハラやカスハラを起こす人などなど。こういったことも幼少期に甘えることが足りなかったからかもしれない。
自分には子育ての経験はないけど、しつけを厳しくしたり親の考えに沿わせるとか強制的に自律させようとするようなことをすると、子どもは順応したように振る舞うかもしれない。でもその反動がのちに出てきてしまうのだろう。
自分にとっていまさらこれがわかったところでどうにもならない。親の育て方のせいにしようとしても、そんな親は祖父母に影響を受けているわけだし誰のせいにもできない。それでもなんとなく自分について新たに理解できたからスッキリするし、どうしようもないことなのだとわかれば、その上でどうしていこうかと考えることもできるからよかったよ思った。