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黙読ができるようになる ❝死ぬまでにやりたい「も」のこと❞

「死ぬまでにやりたいあいうえお」シリーズ。
習慣化が苦手な私が、noteを更新し続ける事が出来るようになる事を目的に、自分にルールを設けて始めたシリーズです。

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本日は「も」の日です。

黙読ができるようになる

黙読ってむずかしくありませんか?
私は黙読が苦手です。

ただネットの記事を読んだり、本を読んだり、ニュースを読んだりするのには、なんら問題ないのですが、自分が興味ある分野について、しっかり読み込みたい時、急に黙読が苦手になるようです。

文章の意味や意図が理解できない時、私は声に出し、紙に絵を描き、自分の中で消化させようとすることが多いです。

昔、高校の学力テストの時に・・・・・・数学のテストだったと思います。どうしても問題の意図が読めなくて、気がついたら「ぶつくさぶつくさ・・・・・・」「おい、黙らんか!」
そう、教師に注意されたことがあります。

今でもその傾向はあるようで、サラリと黙って読んでると、イマイチ頭に入ってないことが多いです。

少々的外れかもしれませんが、以前、NLPコーチの方に私は体感覚優位の人間だと言われたことがあります。

VAKの話です。

人にはVAKの中でも優位に働く「優位感覚」がある
V:視覚優位の特徴
A:聴覚優位の特徴
K:身体感覚優位の特徴

このうち、私はなのですね。なので、視覚的に入ってくる情報だけだと理解が浅いのかなぁなんてふと思いました。

目で見て、声に出して読んで(声に出すと自分の声が骨伝導で伝わってくるので)、絵に描くことで、描いた手がその感覚として覚えると言うんでしょうか・・・・・・いろんな角度から体感として訴えないと、理解も浅いし、記憶にもとまらないのかなぁなんて思いました。

体感覚優位であることが嫌とかそういうことではありません。

ただ、体感覚優位なので「これ」という決定打や決定を裏付ける要素が「感覚的」なものが多いのは事実です。いわゆる「なんとなくそんな気がするのよ・・・分かる?このニュアンス」というやつを、私は多用していて、視覚優位の夫は、この話が全く見えなくて困っています

とは言え、35年この感覚を積み重ねてきたので、「これはそうだ!」と思える「感覚」を頼りに、これからもいろんな選択をしていきたいとは思うのですが。

やっぱり、1人でないところでそれをやってると

「一人言なのか、話しかけられてるのか分かんないんだけど、それ放っておいていい分?」

と聞かれるもので。TPOに応じて、黙読ができるといいのにな。と少々の願望を抱いている次第です。

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明日は「や」の日、最後までお読みいただきありがとうございました。

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