びっくりい
昨日ぶりです、二人の方々
昨日と似たようなタイトルなのは自分が昨日から続いてnoteを開いて執筆できているからです、散文であるからして書くことにカロリーを使っているかと言われると怪しいですがそもそも思ったことを行動にすること自体ができない自分にとっては驚天動地な展開です、だって今日も必須のテストに勉強せずに向かって1時間うつむいてハンバーガーを食べただけの人間ですから、そんな人間がまさかパソコンを開けるなんて、本当に驚くべき奇跡です。一度寝て起きて書くのに2年かかったこの日記が今度は24時間程度で書き始められてるわけですからびっくりするほかないです、ちゃんとびっくりしてあげようと思ったんです。ちゃんとびっくりする打鍵補奇跡が起きていて、何より喜ばしいことなんだからちゃんとびっくりしてあげたいのです、ちゃんとどういう風に感じられる出来事だったのか覚えておきたいのです。
だってこれをこれまで自分向きの日記だったら1週間くらいできてたジャンとか言われると冷めるじゃないですか、ふてくされたくなっちゃうじゃないですか、幸せなら手を叩こう、ですよ、一回表現してみておかないと、だってあなたはちゃんと自分の気持ちとして思い出せますか?修学旅行の夜とか、夏祭りの花火とか、少ないお小遣いをやりくりして買った漫画の1ページ目とか、ちょっと気になってたクラスのこと話せた帰り道とか、友達が自分と共通のものを好きだったときとか、そういうことに出会った瞬間を、今の自分がその瞬間に立ち会えた時に感じるであろう感慨としてではなくその瞬間確かな手触りをもって感じた主観として、僕はこれから書こうとしている人生譚で取り返そうとしているくらいなので全然ないです。だから、僕はびっくりしました、喜ばしいことだったのです、2回目の執筆に取り掛かれたことが、、、
その一環として今日は今日あったことを書きます、テスト受けたよって話です。
皆さんは全く手がつかないテストに1時間30分拘束された経験はお持ちですか??まさに私が今さっきやってきたことなわけですが。
あの時間、静寂と静止が強制されているのにやることが一切ない、目の前の格子に犯した不義理の集大成としての現在だから前も向けない、理解できない文字列の上視線を滑らして眼球に力を入れたり抜いたりして視界がぼやけるので気を紛らわす、疲れて視界がクリアになった瞬間夢が覚めたように冷や汗をかく、そうやって過ごす時間は恐ろしいです
この間できることは後悔です、病気でもない僕が自分の性質や状況への理解を欠いた言動とそのつじつま合わせでごまかすことを積み重ねてたどり着いた現状への後悔です、謝罪はできません、無意味だからです、謝罪の言葉を考えようとした瞬間、これまでの愚かな行動を知っている自分がその言葉を吐けてあの時起き上がることをしなかったあなたはどういう人間なの?何の意味がある言葉なの?と僕の懺悔に漂白剤をぶちまけます。言葉から散ってきた漂白剤は脳みそに到達して火傷を作ります。脳みその火傷した辺りは当然焼いた豚肉のような色をしていて血が通わないしとろけるような柔らかさも失われます、そうすると熱は目頭の方に移って泣きそうになります。するとまたさっきの自分にその涙は何なんだといわれることが想像されて暑くて乾いた涙腺は砂漠のようになるのです。
その砂漠に至ったうえでこの度はフリーターへの扉に手をかけてその先が少し覗けたので次の一歩に悩むのです。収支が成り立つのかなとか、その程度ですが。その程度しか悩めないことについても当然考え始めますよ、当然です、1時間30分の内1時間20分は完全に思案の時間として残されているわけですから、というより試験自体に頭を悩ませつつも登校し始める10時には芯が始まっているのです、行く時点で絶対に赤点、救済のしようもない酷い点数を取ることが分かりきっているわけですから。
夏のどうしようもなく明るくてしなやかな景色を見つめる登校時間に始まるのです。遠くに見えている山はどれだけ自転車を漕いでも同じ側面しか見せてくれなくて、その手前に座るもぬけの殻であろう住宅は簡単に見え方を変えて3つの側面を見せてくれるのです。その頃には、物質的に近づく試験にこれまでのその場しのぎで着ていたみぐるみを剝がされてこっからどうするんですかと言われているのです。Tシャツは羽織っているのに直接焼くような暑さの日差しはこの間もやっぱり僕に問いかけているのです、責めるように僕の言い訳の先回りだけしているのです、それは当然僕の独り言の壁あての壁としての太陽ですから、自分が歩いた先にしかたっていないんです。
そうやって悩みながらも自転車を漕ぐことができた自分も遅刻しながら1時間かけて白紙の答案を作りに教室に入ることは躊躇します。でもその行い、テストを受けないという行いは最後の権利の放棄であって、その不義理は起こせないなとは思うわけです、一歩踏み出して、身体的な行動でけりがつくことは僕は実行できるんです、というかそこは無理がきくんです、ハンドルがついてるんです、だから10分ぐらい扉付近に固まっていながら大体入室期限になっている30分過ぎたところで扉を開けました。少しほっとしたような顔で教授は迎えてくれました、本当に心から善き人たちが教授をしているなと感じられます、僕が生存できているのは善い人との交流が続いたからだと思うんです。でも、待っているのは砂漠です、考えることしかできなくて考えがつかむのは砂で乾いた手には砂粒も縋りつかないような砂漠です。その砂漠に足は埋まりません、地面はとても硬くて、蟻地獄のように攫ってくれれば楽なのにと思いますが身体が教室にあるという現実の切迫はそれを許してくれないのです。
そうやって現実にへきえきとしていると過去も迫ってきます、薄い蓋を開けてこちらに向かってくるのです。例えば母親と一緒に住んだ一年とか、そういうやつです、どうするのか問い詰められてわけわかんなくなって喋れないくらい泣いてなんかそのまま終わったこととか、そういうやつです。
過去の話はちゃんとまた書きます、時間がないので、時間ないのに焦って書きたいことでもないので、、あ、ただ前述のエピソードで滲むほど母に怒りや恨みはないです、自戒です。
そんな風に暮らしてる僕はたぶんその場しのぎで精いっぱいで、その場の全部の意味が分かんないから、先のこともちょっと考えながらその場しのぎをずっとしてるんだって感じです、いったんさようなら、また明日。
家の近くにコンビニと学食しかないんです、フリーターになって自立するにはお金がないんです。
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