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2025年第2週の日記
1月6日(月)
夜になってから家を出たからあんまり分かんないけど、雨は降ってなかった
今日も休み、連休ってやっちゃ。
昨日に続いて何も予定はなく、映画を見ることに決めていた。連日独り映画館ってのも寂しい気がして、後はなんとなく年明けいろんな人に会ってもっともっとという気持ちになってて、九大短歌の後輩のK君を誘って『大きな家』を観た。
K君とは映画館の券売カウンターの目前で合流してすぐ座る、ことになった、僕がギリギリだったから、ごめんね~。ここでK君に普段どんな映画を見るんか聞いたら、「全然見ない」って言われた。びっくりじゃん、っていうか何年ぶりとかの映画でミニシアター系のドキュメンタリーものか、とかも想うじゃん、で色々思ってんのにすぐ映画ジャン。さすがに奢った、チケットもジュースも。K君きてくれてありがと~
『大きな家』は東京の児童養護施設に暮らす子供たちに密着したドキュメンタリー映画。
この映画に出てくる子供はしきりに共に暮らす人たちのことを「家族じゃない」「他人」と表現する、フォーカスされていた子供たちの傾向でいえば幼い方がそう言っていた。僕なんかは父親との、姉との従兄弟との関係について、とりあえず血が繋がっていれば”家族”なので家族という前提で観測することができる訳だけど、一方で、『大きな家』に出てくる子供たちにはその”家族”という言葉を使うことが憚られる。彼らはその躓きから、人間関係を見つめることが始まっている。そんな感じがした。
ドキュメンタリーでナレーションを入れるかとか気になってたけど、『大きな家』での撮影者の息遣いが見えたり声は聞こえたりという塩梅がちょうどよかった。撮影者がカメラの手前側に居ることで生む小さな磁場が、福岡の映画館に座ってる鑑賞者と、東京の児童養護施設のちょっと前という途方もなく遠い距離の、遠いけど地続きで流れていた(何なら同じ時間を並走的に生きてきてた)んだって事実の整合性を取ってくれていた。
カメラという月が太陽を隠してるから、金色の輪っかを直視できてた。
年明けてからめちゃくちゃ映画観れてる、うれしい。
見終わると、横に座ったK君が終演を明かす灯りに照らされてからも暫く黙って座ってる、深く。「これ結構映画のモードから戻ってくるの時間かかりますね」って言われる。自分は昨日3本梯子してて、感受性が摩耗してんのかなとか思って「若いうちに映画いっぱい観な」って『どうすればよかったか』を勧めた。老衰って感じ。
観終わった僕たちは特に何も決めてなかったからとぼとぼ歩く。警固公園に差し掛かったところで、コラボのラッピングされすぎてて『鬼滅の刃』のPOPUP SHOPみたいになってるJoyfullを見つけてぼそぼそ突っ込みを入れながら入店した。
入り口を過ぎたところに立ち止まり、控えめなピースをして「今から僕は二人でこの店を利用したいんですけども~」という旨を店員さんへ伝える。エレベーターで3階の席に行くよう案内を受けて乗り込む。エレベーターには「お詫び」として、機械の故障でハンバーグ関連のメニューが全滅してますって書いてあって、其れってもうファミレスじゃなくないかってK君と盛り上がった。
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Joyfullに来たので当然大盛ポテトを食べる。ハンバーグを除いてJoyfullのメニューを眺めると和食定食屋っぽくて目が滑った。ポテトの前に定食食べたんだけど何食べたかいまいち覚えてないかも。写真も撮ってないから全然分からない。K君が唐揚げ定食喰ってたのは憶えてる”いつもの”だって言ってたし。九州の人間にはみんなJoyfullに”いつもの”がある気がする、そういうローカルの息吹がある。もう終わってしまったけど「和風カルボナーラ」が僕のいつものだった。
どうやって帰ったっけな、一緒に電車に乗って、バス停で別れた気がする。なんかK君が思ったより足早で、寒かったんだったけか
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1月7日(火)
晴れ
おおおおおおおおおお寝坊。乗り切り。それだけに一日を費やしたような一日。
日記で改めて書くだけでも恐ろしい。時間になったら部屋爆発して欲しい。
1月8日(水)
なし
寝坊しなかった、よかった~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1月9日(木)
職場遠いよ~
未来の同居人と新居候補をピックアップする夜、一軒家に住むのはちょっと憧れる、友達呼び易かったら嬉しいじゃんね。
1月10日(金)
少しの雪に、幼稚園児も大学生も「小さい雪だるま」という実存の痕跡を残していた。
朝起きたら久しく見ていなかった雪というのが薄く積もっていた。
雪晴れの道は異様に澄んでいて、濡れたアスファルトが眩しすぎるくらいだった。
今日の予定は職場の友人とのボードゲーム会で、とてもマメな先輩が定期的に開催してくれている。元々ボードゲームが好きだった自分も大学を離れて以来中々できていなかったので喜んで参加させてもらっている。
今回の会場は元同僚のご自宅で、一軒家だった。丁度転居に伴う家探しをしている自分にとっては少し新鮮で穿った?目線での来訪だった。
めっちゃボドゲは楽しい、今回新しい取り組みとして開催されたマーダーミステリーはめちゃくちゃ興奮できる。マダミス(マーダーミステリーの略)では一つの物語があり、そのなかで参加者それぞれに一つの役が割り振られる。どの役も秘密を抱えていて、参加者はその秘密を隠し通すように、物語を勧められるように喋る。そうやって役を演じている自分の立ち居振る舞い自体は実社会を生きている自分の振舞からも引用されていて、物語上の役として抱えている秘密に限らず、逆説的な目線で自分自身の内側が詳らかになってしまうような気がした。
実家みたいな先輩のいえでは夕飯にピザを取った。普段一人でしかデリバリーピザを頼まないから、ピザって腹いっぱいになりすぎるうえに高すぎるイメージがあるんだけど、7人とかやったから普通に1,200円とかで腹6分目ぐらいに収まったことに軽く感動した。
帰りは家が比較的近くて自家用車で来ていた同僚に送ってもらった。ありがたい。うっすら聞いたことの合った前職での苦労を聞き、頑張ろうねって芯から言えた、応援。
帰って寝た。
1月11日(土)
寒さが一段と、芯に響くようになった
日記の文章の時制に悩んでる。(文中でブレて読みずらかったら申し訳ない)
最初は普通に書くタイミングが当日か前日かの問題だと思ったけど、何となく現在形で書きたい。
その為には、書く時点で一旦、書かれている時点の自分が持っていた知識というか認知の量に脳味噌を戻さなきゃいけなくて大変。
11日にイベントごとは何もなかった。ただ何か完全に心が脂物を食べ過ぎた胃のようにもたれていて、きっと年明けてからのイベントの連続が自分のキャパを超えかけてるんだなぁって感じだ。
せっかく早番で色々お店がやっている内に帰るので(本当は不動産屋に寄ろうとしていたけど完全に忘れたまま)本屋さんに行ってちくま文庫をざくざく買うというやつをした。『ヤンキーと地元』なんかは特に読みたかったので文庫になっていてありがたい。あとは『ちぐはぐな身体』(著:鷲田清一)『傷を愛せるか』(著:宮地尚子)『自分の仕事をつくる』(著:西村佳哲)を買った。
最初は『砂丘律』(著:千種創一)と『えーえんとくちから』(著:笹井宏之)を買う時にちくま文庫というものに出会ったんだけど、それ以来ちくま文庫のラインナップはわくわくできて好きだ。本屋に行くと眺めてしまう。他にちくまで好きな文庫でいえば『TOKYO STYLE』(著:都築響一)なんかおすすめです。
なんか普通に自分に甘くするスイッチが入ってめっちゃ夜更かししてしまった、夜更かしはどっちかというと自傷っぽいから、ちゃんと自分を労わって喜べるようになりたいね。
1月12日(日)
寒い、バス停で震え過ぎて地面掘れた
何をしたのか、13日に起きてから書いているから曖昧だ、昨日の夜更かしもあって22時過ぎには寝てしまったのは覚えている。
帰りにファミリーマートでグミと丸ごといちごとホットスナックを買った。会計が四桁で自分が浪費によって心を紛らわせているのに気付いた。大学生の頃は、鬱っぽくなると二、三日完全に引き篭もり、どうにもならないからという言い訳を携えてAMUとか PARCOに行き、散財して躁転する。というルーティンがあったのを思い出す。
仕事は昼から忙しくなった、皆んな正月疲れも落ち着いてきて「明けましておめでとうございます」が似合わない街並みにもなっている。
明けちゃったからには今年をいい年にする他ないね。おはよう。
第2週のまとめ
まとめるにも三連休が即ち3連勤になっており何とも歯切れの悪い週末、というか自分の心的な区切りとはズレている週末、だなあ
年始の日記が遅れて書くのに難儀した。一旦その日の分描き終わってからちょびちょび書くってやってたら三週目の分を先に書き終えちゃった。
もうもう年始って感じでもないけどね、しがんじゃうね、年始の感じは。