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Diversityと交差点。

おはようございます。

思いきって、昨日のnoteを書いてみたのですが、過去最高じゃないかというほど反響をいただいて、とまどっていました。
(みなさん優しさをありがとうございます!!)

さて、カレンダーをみると今日は7月10日。

写真を見返してみると、ちょうど一年前にドイツに行った日でした。

ゲッティンゲンという少し田舎の街で、『Globalization & Diversity』というサマースクールに参加していて、世界各国から集まった学生たちと、約2週間『ダイバーシティ』について考えていました。


ダイバーシティ

ここ数年で一気に世の中にあふれるようになったけれど、いろんな人がいろんなことを言っていて、ある意味『落とし穴』みたいな言葉だなぁとも思ってます。

でも、そんなちょっとこんがりがったものに向き合って、向き合うだけじゃなくてアウトプットして、五感で感じて、ひたすら千本ノックみたいなことをしていました。

今日はちょっとそんな話を。

ダイバーシティと聞くと、おそらくそれぞれに思い浮かべることがあるかもしれません。日本の中だけでもいろんなイメージがありそう。

でも、海外で、世界のいろんな学生たちと『Diversity』というと、もういろんなものがあるんです。肌の色をいう人もいれば、ジェンダーのことをいう人もいれば、宗教をいう人もいる。

海外で印象的だったのは、やっぱり「宗教」の話かな。

「何を信じるか」という価値観、心の話だけではなくて、地域の宗教団体のシステムや教会のあり方、学校教育など、いろんな『制度』の話につながってきます。

で、そうやって『ダイバーシティ』っていうトピックに対して思い浮かべるものがめちゃくちゃいろんな幅があることに『ダイバーシティ』を感じるんですが(笑)、よく、いわゆる『マイノリティ』と呼ばれる人たちについて語る時に違和感があって。

それは、ダイバーシティ=理想のもの

みたいに語られること。

「ダイバーシティを実現する」とか、「ダイバーシティのある社会を作る」とか。

何かのスローガンに出てきそうですが、ダイバー(多様な)状態が、『目指すべきもの』として、語られることが多いと感じてます。

その時によく思うのは、そもそもいろんな人が一緒に生きてる時点で、ダイバーシティなんじゃないかということ。

もちろん権利を保証するとか、声が届くようにするとか。そういう意味では、社会から見えなくされている方たちはたくさんいると思ってます。

ただ、そういう面を差し引いて、「ダイバーシティはいいものだから、みんなで作ろう!」みたいなノリはちょっと怖いなあと感じてます。

これは、自分が「Cultural Diversity」というコースにいるから、余計に自戒を込めて。

でも、言葉の心地よさみたいな、耳ざわりのよさみたいなものに囲い込まれてしまうのはちょっと怖いです。


24色鉛筆が並んでるみたいに、「いろんな種類がある」のではなくて、ダイバーシティって交差点なんじゃないかと思ってます。

「実現する」ものでも、「見つける」ものでもなくて、そこに「あるもの」。

ふつうは出会わなかったような人同士が、ふいに出会う場所。そんな場所にダイバーシティが「ある」のかもしれません。

だから『公園』を作りたいなあと思ってます。

それぞれの背負ってきたものとか立場に関係なく、「今」この瞬間に出会った人たちとともに遊べる場所。

その遊びからそれぞれの『日常』が豊かになる場所。
で、また明日から食べたり、働いたり、がんばろうってなる場所。

非日常じゃなくて日常に地続きなのがよくて、出会う相手の顔が見えるのが素敵だなと思ってます。

というわけで、(昨日とは打って変わって)ちょっと真面目な、でもいろんなことをする根っこにある想いについて書かせていただきました!

今日もがんばりましょう!!!୧(ᕯ˙ᗨ˙ᕯ)୨

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(前に見た、六本木のシュッとしすぎたすべり台!)

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