心惹かれるものに心惹かれる理由
おはようございます。
昨日は、朝とっても寒いなあと思ったので
つい「さむぅ」とツイッターでつぶやいたところ、
「大阪もね、さむぅ、です。」と返ってきて
なんだかほっこりしました。
(#寒さに滅法よわいです)
さて、今日は何かの現場をレポートしたり、
出来事についてじっくり問いこむというよりも、
わたしが心惹かれてしまうものについて、
つらつらと書かせていただこうと思います。
日記みたいな、
でももしかすると、この感覚が誰かに伝わるんじゃないかという
あわよくばの期待をこめて。
まず、わたしが大好きなもののひとつが『祭り』です。
『祭り』とか『フェスティバル』とかきくと、
にやにやそわそわするくらいには好きです(ちょっと変態)。
でも、このわくわくは
「だんじりの音を聴くと血が騒ぐぜ!」的な
かっこよく身体に刻み込まれた血筋みたいなものではなくて、
もう少し知的好奇心が刺激されるような感性的なもの。
実は、大学院ではこのにやにやそわそわを突き詰めてしまって
『祭り』について真面目に研究させてもらったりしています。
年末に提出した修士論文では、
東日本大震災後に福島ではじまったアートのお祭りについて
書かせていただきました。
で。
わたしは祭りの何が好きなんだろうと考えると、
そこにある独特の一体感だとか、
日常と非日常の境目だとか、
少しずつ形作られていく場所性みたいなものに
めちゃくちゃ心を引っ張られる。
その日その場所だけに立ち上がっている
関係性とかコミュニケーションとか、
でも過去と未来の連続性を感じさせるような共同性があって。
そういうのが、ぐちゃっと混ざりあっていると、
「好き!」となります。
大学院に入った頃は『祭り』の本質が知りたくて、
商業的な祭りから慣習的な祭りまで
日本の色々な祭りをめぐりました。
(サマソニとかフジロックとか、復興イベントとか、地方のアートフェスとか)
そこで感じた色々のぜんぶはここには書ききれないけれど、
大きな何かの一部になるような『一体感』と、
わたしがわたしとして保たれる『個別性』みたいなのが
どうせめぎあっているんだろうというところが
めちゃくちゃ気になりました。
あと、もうひとつ好きなものが『広場』です。
「広場ってさ、」みたいに話しかけてもらうと、
丸1日は2人きりで話しこめるくらいには好きです(またもや変態的)。
でも好きなものって、ほんとに好きなんですよね。
で、ここでいう『広場』は、
こんな『THE 広場』だけではなくて。
(ドイツのフランクフルトにあるレーマー広場!めっちゃドイツ!)
駅とか公園とかコインランドリーとか、
いわゆる『パブリックスペース』と呼ばれるもの全般のことです。
そうやって偶然にいろんな人が出会う空間って
わたしは『日常的な祭り』だと思っていて。
祭りってきくと、
特別な日に、我を忘れてはめをはずす
『非日常』のところにあるものだと思われがちだけど、
わたしはどちらかというと、
日常生活のふとした時に、ふとしたところに起こる『祭り的な何か』に
興味があって。
神輿担いだり、「わっしょい」とか言わないんだけど、
でもぐっと気持ちがときめくような、
偶然の化学反応みたいなのが起こる瞬間が
いいなあと思っています。
で。
アートやエンターテインメントも、
こうやって『日常』にアプローチしていくようなものもいいなぁと
思っていて。
ディズニーランドのように、
現実とは完全にかけ離れた、作り上げられた非日常だけじゃなくて、
衣食住みたいな日常生活をよりアップデートするようなものは
おもしろいんじゃないかなぁと思っています。
働く時間が楽しくなる、とか。
移動が楽しくなる、とか。
具体的なアイデアはあまりないけれど、
結構この『日常』の領域って
まだまだ突き詰められていないような気がして。
日常か非日常か、現実かファンタジーかみたいになっている気がして。
わたしは今、キングコングの西野さんのもとで、
最先端のエンタメを日々学ばせていただいているので、
もっともっとここら辺について考えていきたいなあと思っています。
ちなみに、西野さんが「泣きそうになる」と仰っていた
この動画に、その大事なヒントがあるんじゃないかと
思ったりしています。
今日は、
わたしの心惹かれるものについて
心惹かれるままに書かせていただきました。
心惹かれるものを「なんで心惹かれるのか」について
変態的に語り合う会とかやってみたい。
(#変態的に、が大切)
ぜんぜんジャンルがちがうもの同士でも、
めちゃくちゃ好きなものをめちゃくちゃ好きな理由って
どこかでつながっているような気がする〜