君が生まれた家に窓がなかったらどうする?
風が貫通してくる家で、何日間耐えることができるだろうか。
外を歩けば、どこの家にも窓がある。
そんな時君は、「窓がある家に生まれたかった」と一言、溢すのだろうか。
ある日誰かが、「私の家には窓がなかったけれど、でも幸せでした」と語りだす。
君は、そんな誰かの言葉に簡単に励まされる。
やっと、同じ人を見つけた。
そして、その同じ人の未来は明るかったのだということを知る。
君は、希望を抱く。
柔らかい、綿菓子のような希望を。
道ゆく人が、君の家を通り過ぎる瞬間、「こんな家じゃなくて良かったー」と呟く。
そんな声も、窓のない家は吸い込んで、君に届けてしまうのだ。
君が次に思うことは、ドアがない家を見て、「こんな家じゃなくて良かった」ということなのだろうか。
皆が、誰かを見て、自分の立っている場所を何度も何度も確かめる。
あそこのあいつよりかはましで、でもまだあいつみたいにはなれなくて。
でもまあ、近所のあの人よりは優れている。
そんなふうに、公園の砂をかき集め、ピラミッドを作っていく。
そのピラミッドは翌日にはもう、平らになっているんだ。
なだれが起きて、重さに耐えきれなくて、優れているものも、劣っているものも、抱きしめ合うかのように、一つになる。
私たちが目の前にしているのは、絶望ではなく"学び"であるのかもしれない。
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似たような話をこの前サブチャンでも話しました。
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p.s
この、抽象表現すぎる文章もこっちのアカウントに載せていこうかな、と思います。もう一つの方は倉庫的な感じにするか、メンシプでだけ公開するか、どうしようかということはまだ悩み中。
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