発達障害と境界知能なのに普通学級にゴリ押しされた末路
このnoteについて
6歳で発達障害&境界知能が判明したものの、両親が世間体などを気にして専門学校まで健常者と同じ教育を受けた末路です。
小学校入学前
3歳ごろから発達や言葉の遅れを指摘されていた。
幼稚園で集団行動ができなかった。
じゃんけんやドッジボールなど遊びのルールが理解できず孤立がちだった。
アニメのセリフなどは完璧に覚えていた。
小学生時代
就学前の調査で支援学校を勧められていたようでしたが、両親は世間体を気にして普通学級にゴリ押し。
低学年のうちは先生の「はなちゃんと遊んであげてください」という言葉で周りの子達は嫌々ながらも私を遊びに入れてくれましたが、高学年からそうは行かなくなり孤立がちに。
中学生時代
田舎町に引っ越した事もあってか早速いじめのターゲットになったものの両親は不登校なんて絶対認めなかったので、車で送迎される毎日。
母親はそのためだけに39歳で教習所通い。
小学生までは勉強についていけたものの、中学生になってから勉強が本格的に分からなくなる。0点がデフォ、30点取れば良い方。
塾に通わされたものの点数が上がることはなかった。
学校にも家にも居場所がなくて解離症状が出始める。
担任からは普通高校ではなく定時制か通信制への進学を勧められる。
高校時代
本来進学したかった通信制高校への進学を反対されて、親が決めた全日制高校に仕方なく進学。
なんとか卒業はしたものの、やっぱり記憶がない。
専門学校時代
本当は別の分野の学校に進学したかったのですが、こちらも親が決めた学校。
とはいえ、親元を離れて自由になれたことはとても嬉しかったです。
講師のアカハラがキツかった。
そのほかにも今までのいろいろなことが積み重なって自殺寸前まで行きましたが、親はやっぱり世間体ばかりを気にしていました。
20〜24歳
20歳になってから自分の意思で精神障害者手帳を取得。
ここからやっと障害者として暮らせるようになりましたが本当に長かったです。
障害者枠の職場や作業所などでパワハラにあったり、他の通所者からイジメにあったり嫌な事ばかりでした。
24〜28歳
生活保護を受けながら悠々自適な引きこもりライフ開始と言いたいですが、毎月2万円ほど生活保護費を搾取される地獄のような貧困ビジネス施設にいました。
福祉施設ではないので福祉課も動けなかれば、賃貸契約の住宅でもないので賃貸トラブルとしても動けないなど、法律スレスレでギリギリ合法という超グレーで悪質な施設なので、役所も、警察もどうすることも出来なかったそうでしたが、悪質な施設ということでケースワーカーに相談したら割とあっさり転居許可が出ました。
28歳から現在
なんとか理解のある職場との出会い&貧困ビジネス施設からの脱出で生活保護は卒業できました。
30歳の今が一番楽しいですが、それでも、障害者としてもっと早くから福祉や医療などに繋がって適切な療育と治療を受けていたならば、ここまで自己肯定感が下がらず、ありのままの自分で生きていけたかもしれません。
カウンセリングを受けても劣等感が変わることはありませんでした。
普通ならば子供や若者は人生で一番楽しい時期だと思われがちですが、私は人生で一番辛い時期だったので、楽しい子供時代や若者時代には今でも憧れています。
子供時代に買ってもらえなかったもの、中高生の頃に憧れていたものをアラサーになってから買い揃えることで心の傷を埋め戻そうとしていますが、同じ物でもその当時に手に入れる事が出来ていたならば、もっと感動は大きかったでしょうし、失った時間と得られなかった感動は戻りません。
早くから医療や療育につなぐメリット
障害者として早くから適切な教育を受けていたならば、障害者として適切な職業教育を受けて適切な仕事に就けていたと思います。
働けなくなって生活保護受給者になる事もなかったと思います。
生活保護は最後の福祉制度
誰かがそう言っていたような気がしますが本当です。
適切な医療と教育を受けられなかった人が最後に流れ着く福祉制度が生活保護です。
幼稚園、小学校、中学校、高校、専門学校と、周囲の大人たちが見ないふりして後回しにした結果の尻拭いをする部署が福祉事務所です。
早い段階から対応していたら酷くならなかったはずが、後回しにし続けた結果、最悪な大人が完成しました。
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